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暗闇の先は暗闇だった


「はぁ〜〜、」

自分の溜息で、奈辺を彷徨っていた意識が一気に浮上した。
そこでようやく、自分がどこを歩いているのか理解する。
(はぁ〜、最悪だ)
心中で、もう一度溜息を吐く。
全くどうして僕はこんなに悩んでいるんだろう。
思い返すだけでも悲しくなってくる。
はっきり言って此処最近の自分は貴陽一不幸な人間じゃあないだろうか。



思えば、事の発端は数日前。
あの、人とは52度食い違う極端に飛び抜けた脳内思考を持つ孔雀馬鹿男が訪ねてきたことだ。
相変わらず、相手の状況などお構いなしにいつの間にか邸に上がり込んでいたやつに、 最初は怒る気すらとうに失せて、さっさと出て行けと半ば本気で思っていただけだったのに。
いつから変わり変わって、心境が二転三転してしまったのだろう。

「なんなんだ、あの男は。」

否、年中本当に頭に花を咲かせた変人なのだけれど。
けれど今回は少し様子がおかしい、気がする。
あくまで『気がする』だけだが。
(そう言えば、絳攸様もなんだかお元気がなかったな)
若くして吏部侍郎を拝命し、仕事をしない紅尚書に代わり吏部の一切合切を執り仕切っているかの才人は、 その膨大な書類のため2〜3日徹夜で仕事をなさる時もある。
というか今回もご多分に漏れず、さすがにまだ徹夜には至っていないが、 それに近いくらい遅くまで執務におわれておられた。
でもそれはどこか―――

(……あぁ、そうか)
覇気がないのだ、今の絳攸様には。
以前なら次から次へと途絶える事のない書類に怯みもせず、 むしろ使命感に燃えて仕事をされていたのに。
その意欲や向上心が根刮ぎ奪われてしまったかのようで。
考えてみれば、最近の吏部の仕事は今までと比べて比較的軽い、 少なくとも毎日ちゃんと自分の邸に帰れるくらいには。

と、考え込んでいる間に碧区の邸に着いてしまった。
(くそぉ〜、結局何もまとまらなかった)
龍蓮の事も、絳攸様の事も。
ゆっくりとこの二つを整理し吟味するために、わざわざ軒ではなく徒歩で帰ったというのに。
絳攸様の事はとにかくなんであの孔雀まで、と思ったのだが……。
(やっぱり、気になるものは気になるし、)
むしろ……、
其処まで考えて、慌ててその先をうち消した。





「龍連、」

呼びながら自分の室に入った。
室内には明かり一つ灯っておらず、何処までも続いていそうな常闇が広がっているだけ。
眉間に自然と力が入った。
きっと深い縦皺が刻まれているだろう。
(まただ)
龍蓮の様子がおかしい。
彼が訪ねてきた初日からその懸念が解ける事はなかった。

「おいっ、孔雀!居るんだろうっ!」

家人の様子からして、まだこの邸にいるはずだ。
と言う事は、実質的にこの室に居るはずだ。
あの天つ才をその身に宿す男と、 所謂恋仲、というものになるにあたっていくつかの取り決めをしたのを思い出す。
その中には、『僕に断り無く旅に出るな』も確実に含まれていた、というか入れさせたはずだ。
龍蓮は一度した約束は何があっても守る、出来ない約束は決してしない。
付き合いを重ねていくうちに藍龍蓮という人物を知るうちに、 それは理解しなければならないのだと自覚した。

またしても、反応なし。
さすがにここまで無視されると、相手の様子がおかしかろうがなんだろうが腹が立ってくる。

「おいっ!!いい加減にし、」

「珀明」

後ろから耳元で声を出され、思わずびくりと肩が竦んだ。
直後誰の言葉か理解して、今度こそどこかの糸がぶち切れた。

「きっ貴様はぁ〜〜、僕が何度呼んだと思ってるんだっ!!」

怒鳴りながら勢いよく振り返ると、 暗がりでよく見えないが珍しく髪を下ろし笛も持っていない龍蓮が立っていた。
俯いているのか、前髪で顔はよく見えない。
けれど確実に何かが違っていた、この男がこんなにも頼りなく見えたのは初めてだ。

「龍蓮、お前……」

(おかしいおかしいおかしいっ)
歩く騒音、通った後には人々に最大級の疲労と安堵を植え付けると言われる、 というか自分はその考えに絶対の自信を持っているのだが、あの龍蓮が。
服装はいつも通りだが胸元をはだけさせ、 髪に奇天烈な物も挿さず手を所在なさげにぶらりと下げているなど、 どう考えても天変地異の前触れだ。

「何があった……」

言葉はむしろ自分に向かっての問いかけになる。
こいつは数日どんな顔をしていた?食欲は?笛は?
「珀明」

「……なんだ?」

龍連の声が酷く小さく感じる、覇気がない。
そう考えていると暗闇の中の龍蓮が動いた、こちらへ近づいてくる。
とん、という音は僕の頭が龍連の胸板に当たって鳴った。

「龍?」

抱きしめる力ははっきり言って弱い、壊れやすい物を柔らかい布で包むかのような抱擁だ。
けれどそこには断固として離さないという意思がある。
そこでようやく異変の正体に気づいた。
胸に頬を当てると龍連の心の臓が音がする、 鼓膜からでなく、触れ合わせた頬から肩から腕から自分の中に染みこんでくる。
目を閉じ龍連の背に腕を回すと、抱きしめる力が強くなった。
(そうだ、俺はそう簡単に壊れたりしない)
男で碧家で吏部官吏だから、今まではそう言って僕を庇護するような龍蓮の態度に怒ってきたけれど。
そういうことではないのだと伝えたかった、 僕は碧珀明で龍連の心の友其の三で恋人だから、だから大丈夫なのだと。

「龍蓮」

名前を呼ぶ、ここにいることの証明になるように。
曇天の中、月は姿を見せない。
夜の闇はさらに濃くなってゆく。


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date:2008/06/15   by 蔡岐

ユグドラシル , " 暗闇の先は暗闇だった" …『暗闇の先へ10のお題』より】