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Your real intention why I do not know the lie.


倒れた楸瑛を龍蓮に預け、藍邸に連れ帰ってもらった。
どうして倒れたのか、体調が悪かったのかなんて誰も言わない。
床に頽れた楸瑛の表情を見れば、どうしてか、なんて明らかだった。

龍蓮が楸瑛を担いで行って、珀明が仕事に戻って、二人きりになった執務室はとんでもなく広く感じた。
聞こえる笑い声が幻聴だと分かっていても、そちらに気を取られてしまう。
ぼんやりと龍蓮の出ていった扉を見る。

俺が、あいつにしたかったことは何だったのか……

「すまぬ。余が無理をさせて――」

「っいいえ!」

思考の端に引っかかった主上の言葉を慌てて否定する。
それ以上言わせてはいけない、と思った。
きっと誰のせいでもない事だ、ましてやこの若い国王の責任であるわけがない。

「いいえ、」

もう一度、今度はしっかりと主上を見据えて、できるだけ重い声で告げる。
それだけしか、言えない。
今は、きっと何を言っても、下手な慰めにしかならないだろう。

「…・っ、すまない」

謝罪は、気を遣わせたと思ったのか、弱音を吐いたことへか。
謝る必要なんてないのに。
楸瑛の事で一番取り乱したのは俺で、心労をかけ続けたのも俺で。
ずっと、この素直で優しい王の配慮に気づかなかった。

昼間、雨が降ったからだろうか。
刺さるほど冷たい風が開けっ放しの窓が吹き込んでくる。
つられて外を見ると、日の入り前の空を暗闇が包んでいる。

自然に溜息がでる、これはまた一雨来そうだ。

「主上」

おれの声に、しゅんと下を向いていた主上の髪の毛がぴくりと動いた。
その反応から少し経って、主上がこちらをむく。

「もう遅い、今日くらいはじっくり休んでください」

はっきりとそう言えば、目の前の青年は目を丸くする。
わかりやす過ぎる表情に苦笑した。

「絳攸、知っていたのか」

ああ、知ってたさ。
主上が、俺にも言わず邵可様にも詳しく語らず、楸瑛のために府庫でがんばっていたことくらい。
あなたは、分かり易すぎるんだ。

「ええ、……だから、今くらいは体を休めてください。
あなたが倒れたら、楸瑛の比じゃない。朝廷が機能を停止します」

言い過ぎか、とも思うが、正直主上にまで倒れられたら、俺がたまらない。
間違いなく、ショックで寝込みそうだ……心底、情けない話だが。

「……うむ」


渋々と言った顔を隠しもせず、それでもこくりと頷いた青年は、内朝へ帰っていった。
これで、執務室には俺一人だ。

初冬の空気が室に充満してゆく。
外から聞こえる控えめな音が絶え間なく聞こえる、降り出した。

「楸瑛…」

溜息と共に思わず漏れた言葉に、俺は静かに目を瞑った。




「失礼するぞ!!」

「主上、……」

頼むからそんな大声出さないでくれ恥ずかしい、とか、なんでお宅訪問でそんなに楽しそうなんだ、とか。
言いたいことはいろいろとあったが、結局無駄だと悟って口をつぐんだ。
なにより、心から楽しんでいるところに水を差すのも悪い。

「ああ、お二人ともいらっしゃい」

楸瑛は、主上のテンションに少し目を丸くしながら、ふふふと、いつも通りに笑った。


結局、要静養という診断の下った(というか、俺達が押し通した)楸瑛は、今日一日藍邸でおとなしくしていることになった。
けれど、毎日会っていた楸瑛の顔が見えないと(ただでさえやつの体は縮み続けているのだし)、逆にこちらが心配になってしまう、と主上が騒ぎ立てるので、早めに執務を終え藍邸に様子見に来た、というわけだ。

本音なのか、執務をさぼるための口実なのかは不明だ。
ただ、俺にとっても願ったり叶ったりだったから、渋りながらも許可した。
一日ぶりに見た楸瑛は、また低くなっていた。

「ええ、昨日までは李侍郎の鼻くらいはあったと思うのですが……」

「今朝目が覚めたら、その、…肩辺りになっていたと」

「そういうわけ、か?」

あり得ない、などともはや誰も言うまい。
宅を囲んで座っている時点で、楸瑛の座高はかなり低い。
本人あまり気にしていないようだが……

「そういうわけです」

言いながら、自分で入れた茶を啜っている。
開き直った強さ、みたいなものを感じるのは気のせいか。
出仕してからの記憶のない楸瑛が茶を自分で入れるとは思っていなかったが、意外にも普通に用意してくれた。
俺と、ほとんど主上が今日の仕事やその合間の話をしてゆく。
邵可様が入れてくださったお茶を飲んだこと、外朝の寒さが身にしみたことなど。

「それでは、また明日なのだ」

「はい、お気をつけてお帰りください」

見舞い兼お宅訪問といっても、主上をあまり長居させるわけにはいかない。
俺より一足先に、禁城へ帰っていった。

「楸瑛っ、必ず元に戻る方法を見つけるぞ!!」

待っていてくれ、
なんて必死の形相で言いながら。


「主上の、……お体は大丈夫なのですか?」

「あー、大丈夫だろ。……おそらく」

あの王に関しては、俺よりよほど優秀な女官長がいてくれるからさほど心配していない。
女官長、珠翠殿は常日頃から高級へ入り浸る楸瑛を、ボウフラと言って憚らない天晴れな女丈夫であり、未だ主の定まらない後宮の風紀を管理している。
いつもの藍楸瑛なら気を揉むまでもないことだが、目の前の楸瑛はそれを知らない。
帰りがけ、王が息巻いて言った台詞を聞けば、不安になるのは分かる。

ってことは、珠翠殿も憶えていないということか。
出仕してから迷惑をかけ続けた相手を忘れるとは、ある意味恐ろしい度胸だ。
なんだか、別の方向に現実逃避してしまいそうだ。
内心慌てて楸瑛に話を振る。

「一日、何をしていたんだ?」

「何、というほどのことは。
昨日雨が降ったせいか気温が低かったので、ほとんど室で過ごしましたしよ」

「そうか」

惣菜を口に運ぶ。
日も落ちたくらいに夕餉に喚ばれ、そろそろ食べ終わる頃だ。
熱い茶を口に含む。
飲下し、ほうっと息を吐く。
ひんやりとした空気の流れが屋外から浸入してくる。

口をついて出た言葉に俺が慌てたのは一瞬で、後悔はしなかった。

「怖くはないか」

俺が楸瑛に視線を投げると同時に、向こうを俺を見る。
驚いた、というより何を聞かれたのか、判然としない様子だ。

「ああ」

独り言のような質問を理解して、楸瑛は俺に向かって微笑んだ。
柄にもなくどきり、とする。
こいつの笑顔に胸を高鳴らせるなんて時期は、もう疾うに過ぎたと思っていた。

「わかりません」

「は?」

我ながら間抜けな声で聞きかえした俺に、楸瑛は囁くような声で話し続ける。

「わからないんですよ、私にも。芯が疼くのはたまに感じるのですが」

「芯が疼く……?」

「はい、心の臓の下辺りがざわりと」

「焦燥、とかではないのか?」

「それが、わからないんですよ李侍郎」

揶揄うでもなく、投げ遣りになるのでもなく、淡々と楸瑛は喋る。
口元は薄く笑っているようにも感じるが、よく見えない。
言葉自体には、不安も恐れも困惑も何も感じとれない。
……俺が感じ取れないだけで、こいつがひた隠していることだけを知っている。

「そうか」

結局、主上にもこいつにも俺が言える事なんて何もない。
楸瑛から目を逸らし、少しうつむく。
唇を噛むのは、己の不甲斐なさが悔しいからか、何も話さないこいつらが憎らしいからか。

「李侍郎」

正面の楸瑛が俺を呼ぶ。
すぐには顔を上げられなかった。

「なんだ?」

「月が見えますよ」

ん?
きっと、今の表情を言葉にしたらこんな感じだ。
言葉の意味は分かっても、その真意を測れない。
俺の気を知ってか、分かって気にしていないのか、顔全体で笑みを作りながら楸瑛は窓の一点を指し示す。
確かにそこには、望月をとうに過ぎた月の姿がある。
月が珍しいのか?
確かにここ数日曇天続きで、月見なんて出来なかったが。

「綺麗ですね」

「えっ、あ、ああ。そうだな」

気のないというか、当たり障りのない返事しかできない。
本気で何が言いたいんだ、こいつは。

「藍州の月も美しいだろう?」

むしろ慣れ親しんだ故郷の月の方が、より麗しく映えてみえるだろうに。
俺は紫州を出たことがないから分からないが、部下がそんなようなことを言っているのは聞いた。

「ええ、……ですが、貴陽の、この月を真に愛でられるのはあなたがいるからです」

「……は?」

目を丸くしているはずの俺を、楸瑛は覗き込んでくる。
なんだか恐ろしく違和感を感じる、覗き込まれるのはいつものことだが、今は完全に俺が楸瑛を見下ろしている。

「李侍郎、あなたの側にいるから私は自分が何者かわからなくなる。
藍楸瑛であるはずなのに、その名を持つもう一人に嫉妬すら憶えるのですよ」

俺の目を覗き込み、楸瑛は少年らしく明朗な笑みを見せる。
が、言っていることは意味不明だ。
意味不明、というか、俺の勝手な妄想のような気がする。

「……」

夢か?これは。
さっきの言葉を鵜呑みにするなら、つまりそれは――

「うわぁああっ」

思わず、がたんと椅子を倒し立ち上がる。
俺の様子を楸瑛は心底楽しそうに眺めていた。

「しゅ、しゅしゅうえいっ!」

どもりながら、しかもまともに発音できなかった。
その事に全く頓着した様子も見せず、楸瑛は立ち上がる。

「夜も更けてきました、そろそろお帰りください」

「……え、…はあっ!?」

「明日の執務に障りが出るといけないので」

にっこりと微笑み言われた台詞は、まさにその通りで。
俺は反論を完全に封じられてしまった。


月が皓々と藍邸の壁、その前の通りを照らしている。
昨日までの天気が嘘のような晴れっぷりに、脱力さえ憶える。

「楸瑛、」

「なんでしょう」

見送りに門の前まで出てきた楸瑛に、逡巡しながらも問いかける。

「明日は、出仕するのか?」

主上と、ほぼ俺の死活問題。
言葉尻の俺の迷いを正確に見抜いたのか、はっきりと楸瑛は頷いた。

「しますよ、……仕事は山ほどあるのでしょう?」

それは、楸瑛が執務室で主上の手伝いをすると言い出した時に、俺が言った言葉だ。
楸瑛に少しでも、執務室に、俺の側にいてほしくて思わず言ってしまった暴言に近い。
だから、言い続ける他はない。

「ああ、あるぞ。不眠不休で働き続けなきゃならないくらいに」

低い楸瑛の頭に向かって、平然と嘘をいう。
だからずっといろ、と願いを込めて。
呼んでもらった車に乗り込み、そっと口の中で呟いた。



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date:2008/07/20 【08/08/7.改訂】  by 蔡岐

誰よりも綺麗な君は悪魔を愛した ,
"Your real intention why I do not know the lie. (嘘は知らない、君の本心を)" 】