役に立たない救命道具 [3]
date:2006/08/05
開いた扉から吹いた風が、常時より遥かに熱い頬を撫でる。
その風に乗って届いた‘香り’に、つい先ほどまで深く暗い処を彷徨っていた意識が勢いよく浮上した。
そのあまりの現金さに、楸瑛は嗤う。
やはり。私は君を求めてしまうんだね
他の誰でもない・・・・・・・・・・君でなくてはならないんだよ、絳攸
「何笑ってる、気味が悪いぞ。」
辛辣な言葉。彼の声は静かで、少しの棘が含まれていた。
しかし。それさえも今の楸瑛にとっては何にも勝る甘露となる。
彼はまた笑った。
あぁ、もう本当に。どうして君はこうも私の心を動かすんだろうね
「うれしいね。まさか君が来てくれるとは思わなかった。」
嘘だよ。絶対来てくれると、否、来てほしいと思っていたんだ
だからこそ、君には何も言わなかったのだから
私は我が儘なのは、君が一番よく知っているだろう?
僅かな隙間から押し入った冬の訪れを告げる空気は、ゆっくりとしかし確実にこの部屋を満たしつつあった。
だがそれも、もはや楸瑛の気を反らせるだけの力は持っていない。
目の前では相変わらず強い瞳で此方を睨む親友。
親友、―――――その仮面の裏にある素顔を、果たして君は知っているのかい?
友と、同期と、腐れ縁と、そう言いながら君を見つめる私の目を。
君の望む場所を、その全てを裏切ってきた私を。
絳攸の瞳が何を思い出すように細められ、そして彼はゆっくりと俯いた。
楸瑛の視界から彼の綺麗な瞳が消える、それに一抹の寂しさを覚えながらも安堵した。
絳攸の穢れのないまっすぐな瞳は深淵に囚われている者にとっては、あまりに強すぎる。
何時からだっただろう―――――君の特別でありたい、そう思うようになったのは
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 同時に、あり得ないことだと知ったのは
“君の目に私が写ることはあり得ない”、その絶望に囚われた日々
それから逃げるように妓楼に通った毎日
毎日毎日違う妓女を抱いて、
―――――――――――― けれどそれは一時の気休めほどの意味もなく、
その事に気づく度に、君への想いは強くなる一方で・・・・・・
俯いていた絳攸が再び、ゆっくりと正面の男を見た。
その瞳を見た瞬間、楸瑛の中で何かが弾けた。
「き、貴様一体何「少し、少しだけこうしていて。」」
情けないことに、楸瑛が自分の行動に気づいたのは不可解な出来事で固まっていた絳攸に胸を叩かれた後だった。
無言の要求に、きつく抱きしめていた腕の力を弱める。
――― 本当に、どうして君はこうなんだろう
いつもはあんなに恥ずかしがり屋なのに
だから私も勘違いしてしまう、この想いを終わらせることができないんだよ?
でも、少なくとも今は、しばしこのままで ―――― ・・・・・
どれだけ時間が経ったのか、寝待ち月は煌々と冷たい光を放っている。
先に口を開いたのは楸瑛だった。
「・・・・・・・・・・ねぇ絳攸。お月見、しないかい?」
「はっ?・・・何を言ってる。貴様、一応病人だろう。」
「大丈夫、もうだいぶ良くなったから。それに、」
また私が倒れたら、その時は君が看病してくれるだろう?
耳元で囁かれ、絳攸は勢いよく楸瑛の体を突き飛ばした。
しまったっ、と思ったが楸瑛は此方を見てにこにこと笑っている。
よく見れば、まだ顔は赤いし声も熱っぽく少し掠れていた。だが、表情は雰囲気は、完全にいつも楸瑛に戻っていた。
「・・・・・・熱が上がったら貴様のせいだからな!」
それは傍目にはとても分かり難い、自分なりの承諾。
こんな時まで意地を張ってしまう自分に少々呆れたが、しかし楸瑛ならばすぐに分かるだろう。
―― それだけの時間を、共に過ごしてきたのだから
案の定、彼はその意味を正確に理解して苦笑している。
「笑うなっ!!月見をするのだろうっ、早く行くぞっ!!!」
「はいはい、・・・・・・・・・・でも絳攸、そちらには厠しかないよ。」
「うっ、五月蝿い!!分かっているっ!!」
後ろから絶えず聞こえてくる笑い声に怒りがこみ上げてきたが、それが同時にとてもくすぐったい。
気を引き締めて、にやけそうになる頬をどうにか抑える。
取り敢えず、自分はまだ当分の間こいつの横に居られそうだ、と。そう確信できるから。
――――― だから、どうかこの想いには、もう少し気づかないままで・・・・・
By 蔡岐
【宿花(閉鎖されました), "役に立たない救命道具"】
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