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君と僕の好きな歌




凍りつくように冷たい風が頭上を吹き抜けてゆく
遮られるものなく直接に見る太陽は夏の存在とはまるで別物だ
季節はもう秋だった……


「聞かないメロディーだね」

気配なく声をかけてきたやつに視線だけを上げる。
そろそろ来るような気がしていたから驚きはない。
相変わらず酔狂だ、と自分のことを棚に上げて思うだけだ。

口は開けない、鼻だけで歌うと酷く聞きづらくなる。

「ここ、座っても良いかな」

こいつはいつも俺に許可を求める。
座りたいならそうすればいいのに、別に屋上は誰のものでもない。
・・・拒んだ事なんてないのに。

やつの目を見つめながら小さく頷いた俺に、にこりと笑んで静かに座る。
こいつの動きは滑らかで凄く静かだ。
足がないんじゃないかと思うほど、廊下を走っても音がしない。
そして汗をほとんどかかない。

最初会った時は、訝しく思ったがそれは今も変わらない。

「聞いたことのない曲だ、……」

屋上には俺たちしか居ない。
俺へ向けての言葉だが俺は返事をしない、相手もそれを求めては居ないのだろう。

「君が鼻唄を歌っているというのも、なんだか不思議な感じだね」

その言葉に少しだけむっとする。
そのまま目線を上げて睨むといつもの苦笑が帰ってきた。
自信過剰で女に節操のないこいつが、入学当初から俺だけに見せる笑い、 今じゃ嬉しいのか悲しいのか分からなくなってしまった。

口は閉じたまま、目を細めて唄を歌う。

「随分と涼しくなってきたねぇ、」

校舎横の並木は、赤黄と交互に並んでいて綺麗だったよ。

ふふふ、と小さく笑う。
吐いた息が少し白くなった。
この学園にいる奴なら誰でも知っていることだ、それでもこいつはいつも俺に言う。
報告する必要などないと、……誰よりも知っているはずなのに。

「もう、こんな時期なんだね。」

……そうだな、と相槌は心中で返した。
心得たように顔も見ずに話すこいつに、抱くのは苛立ちよりも懐かしさと、少しの寂しさだった。

桜が舞い散って、水が跳ねて鳥が飛んで雪が降って、また梅が咲いて、
そんな事を二度繰り返し、その間ずっと隣に在ったこの場所のこいつと。
情が移るには十分な時間だった。

うろ覚えのようなメロディーを口ずさんで空を見上げる。

「うん、……でも私はこの唄は好きだね」

耳ざとい、口の中だけで呟いたはずなのに、そうでもないよ、と返されて。
やはり地獄耳じゃないか、とこっそり思った。


楸瑛は来た時と同じようにすっと立ち上がった。

「……それじゃあ、そろそろ降りようか、絳攸」

呼ばなかった名前をあっさり呼ばれて一瞬だけ唄が止まった。
淡く微笑み手を出す男をじっと見上げる。
俺に向かってのばされた腕はあの時よりもさらに逞しくなっている。
訳もなく悔しくて、勢いをつけて立ち上がった。
差し伸べられていた左手を振り払う。

「相変わらず、素直じゃないね」

うるさい、と目だけで訴えた。
楸瑛がさくり、とだけ笑って歩き出す。

「……そう言えば、さっきの。なんて名前なんだい?」

俺より高く大きい背中から発せられた問いは強風に煽られて空に散っていった。
身震いしそうなほど冷たい風だ、そろそろセーターがいる季節になる。

「……教えない」

そう言ったら扉を開けた楸瑛が、やっぱり小さく笑った。


date:2007/11/19   by 蔡岐