*



ケータイから流れる音を聞きながら、

町中に溢れる甘ったるい色彩を目の端に捕らえながら、

纏まらない思考に苛立ちを感じる。

教室の中、俺の目の前の場所は今日も空席のままだった。





きみが消えた跡にこびり付いていたのは、


「久しぶり、絳攸」

楸瑛が登校してきたのは、『家庭の事情』で欠席してからちょうど2週間後のこと。
半月のブランクをまったく感じさせずにクラスに馴染むこいつに、本気で殴り飛ばしてやりたいと思った。 …………が、どうせ避けられるだろうし余計な労力は使わないことにする。

今日は来てるかとかメール送ろうかとか何かあったのかとか、いろいろ考えて、 悶々としてた自分が馬鹿みたいだ。
しかも、ここまであっけらかんとされると何も切り出せない。

「…………」

無言を決め込んで、楸瑛の後席に座った。
目前の男はあいかわらず完璧な笑顔で俺を眺めている。

「……何か用か」

「酷いなぁ、2週間ぶりに会った親友に挨拶もなしかい?」

「………………おはよう。これで良いんだろ」

「はい、おはよう。絳攸」

俺を見て苦笑する楸瑛から、思わず目を逸らす。
……正直、すこし心臓に悪い。

そんな俺に楸瑛はまたにこりと笑い、この2週間の愚痴をつらつら語り始めた。
よほど誰かに聞いてもらいたかったんだなあ、と。
ぼんやりとした頭で考える。
その、誰か、が俺であるのは偶然でしかない。

中学からエスカレーター式で高校に上がった、今のところ4年間クラスが同じ同級生。
そして、こいつの真後ろの席に座っていていつも大抵は暇な人間。
大きな学園だから、中高同じでもクラスの違うやつがほとんどだし、 正直4年間クラスが一緒の人間は、同学年なら俺達しかいない。

けれど、それだけだ。
俺と違って交友関係が広いこいつは、愚痴や相談を聞いてくれる友達には事欠かない。
節操がないと倦厭されるはずの女関係だって、結局はまめで隙のない性格のおかげか、 同性から恨まれることも少ない。

ちらり、と。
机の横にかかる紙袋の中身が覗けた。
あれから一週間。
明日から期末試験だというのに、まったくご苦労なことだとあきれる。
けれど、それは、どうしようもなく俺の心を逆立てた。
いっその事、新しい彼女にでも帰宅の報告をしに行けばいいじゃないか、と。
心にもないことを思ってみたりもするのだが……。


「ん?」

いつの間にか楸瑛の口は閉じていた。

「……珍しいね、君がそんなに考え込んでいるのは」

「はっ?」

いつもの笑みの中に多少困ったニュアンスを含ませて、出来の悪い弟を見るような。
こいつのこの目が嫌い、だった。

「どうしたの、なんだかいつにも増してぼんやりだね」

「俺は呆けてなどいないっ!」

「呆けてって、誰もそんな事言ってないよ」

「言っただろうが、俺がいつうすぼんやりしたって言うんだ」

「薄ぼんやり……、なんだか無性に誰かを思い出させる単語だね」

確かに。

「……お前、結構失礼だぞ。それ」

「君も同罪だけれどね」

「…………」

図星で、正論だったので黙り込んだ。
また、楸瑛が眉尻をさげて笑う。
こいつはいつもそう、嫌なら笑わなければいいのに。
面倒なら冷たくあしらってしまえばいいのに、……俺にまで、気を遣う必要はないのに。

「で?何を考えていたのかな、絳攸」

誤魔化されなかったらしい。
沈黙がいたい。
嫌みったらしく苦笑を浮かべ続けるこいつも大概だが、今日の俺の態度もおかしいことに気づいた。
いつもだったら、……

「別に、」

「………………そう」

顔を背けて言った言葉は、自分でもたいそう白々しく感じた。
静かな楸瑛の返事に思わず顔を戻す。
やつはすでにとろけるような営業スマイルに切り替えていた。

「しゅうえぃ…」

「席つけよー」

俺の呼びかけに被せるような極上のタイミングでチャイムが鳴り、担任が入ってくる。
もう一度、にこりと笑んで楸瑛は席に着いた。

結局、何も切り出せないまま、時間は過ぎ去った。





「それで?」

「は?」

下校時刻、教室がわいわいとにぎやかな音をたてている。
突然、振り向きざまに尋ねられた。

「酷いな、絳攸。2度目だよ」

何が、と言いたい。
言えなかったけれど。

「その『それで』は何処にかかってるんだ?」

代わりに質問を返した。
自分からは言い出せない、プライドなのか羞恥心なのかは別として。
楸瑛はふと、表情を弛め首を傾げた。

「うーん、…元気の無かったこと、の理由とか?」

「とか、って何だっ」

こいつは、からかうような調子でさらりと、そんな事を言う。
解っていて、理由とか考えてたこととか、全部知った上で、俺の上面だけを掬い取る。
そういう達観したところが、本当に嫌だ。

目の端に映るピンクやら水色やらのきらきら光る袋達が余計に俺を憂鬱にさせる。

「……いや、君が朝から言い足そうにしていた事、かな」

そして、いかにも今思いつきましたという風に俺の内部を突いてくる。
本当にいい性格している、と思う。
この押し問答の顛末に考え至っているくせに、ポーカーフェイスで俺をあざ笑う振りをするこいつも。
回りくどい楸瑛の性格を解っていて、それでもなかなか切り出せない俺も。
他人から見たら、まだまだ青くてガキっぽいんだろう。

「はぁー……」

大きな溜息をつく、もちろんこいつに見せるために。
それと同時にポケット中に手を突っ込んで、よれよれになった小さな紙袋を掴み出す。
そのまま、バンッと机にたたきつけた。

「……えーっと?」

「受け取れ」

「なんだい、これは」

「開けてみればわかる」

「道理だね」

我ながらぶっきらぼうだと思う、もうちょっと言い方は考えるべきだったか。
楸瑛は目を丸くしながらも、何の変哲もない紙袋を開けた。

掃除も終了した教室には、俺たちのほか数人しかいなかった。
帰る用意すらしていないのは、俺たちだけだ。

カサッ、と音を立ててそれは楸瑛の手の中に収まった。

「万年筆?」

こくり、と仏頂面だろう顔のまま頷いた。
照れもあったし、正直こいつが気に入る、という自信もなかった。

楸瑛の顔が少し緩む。
そして口がゆっくりと弓形に上がった、心底楽しい、という表情を隠しもせずに。

「どうして?」

聞いていて恥ずかしくなるくらい甘ったるい声で尋ね返してきた楸瑛を見て、全身の熱が顔に集中するのを感じた。

「ねぇ、絳攸?私の誕生日はあいにくと2月ではないんだけれど」

「っ……!!」

なんてたちの悪いやつだ。

「ねっどうして、絳攸?」

「…………お、お前が14日休んでいたのが悪いんだろうがっ!!」

さ、最悪だ。
つい本音を漏らした自分にも、そうなるよう誘導して現在にやにやと笑っているこいつも。

教室にはもう誰もいなくて、西日が俺たちの影を長く形作っていた。

「このっ……性悪野郎っ!」

「それはそれは、最高の褒め言葉ありがとう」

押し殺したはずの声すら、しっかりと聞かれていて。
楸瑛には、もう何を言っても無駄だと思った。

「言っておくがっ!!
こ、これは、日頃の雀の涙ほどの感謝を、俺が譲歩に譲歩を重ねて拡大解釈した結果というだけだからなっ。
それ以外の意味は、1ミクロンもないっ!」

こういうのは、先に開き直った方が勝つ、らしい。
俺は、とりあえず何を言いたかったのかよく分からない事を言った。

「はいはい、わかっているよ。
黎深殿や百合殿や邵可殿や秀麗殿や会長の次の次の次くらいの感謝なんだよね」

「違うっ、その次の次の次を5つほどすっ飛ばした次くらいだっ!!」

「うん、知っているよ」

楸瑛の揺るぎない笑顔で言い切られる。
思わず怯んだので、応酬はそこまでとなった。

「そ、そうか。ならいい」

「ありがとう、絳攸。大事にさせてもらうよ」

「どういたしまして」

片言で返すことしかできなかった。
楸瑛が本当に心底楽しそうに、愉快に笑っていた。




「ねぇ、絳攸」

「ん?なんだ?」

「来年は、生チョコが良いかな?」

「…………」

瞬間、口より手が出てしまったのはいつものことだと目を瞑ることにする。
ポケットはやけに軽かった。


date:2008/02/14   by 蔡岐

ユグドラシル , "君が消えた跡にこびり付いていたのは、儚い希望(アネモネ)"
…「花言葉で10のお題」より】

【photo by ,MIYUKI PHOTO