――――― ピチャンッ 水の音が やけに大きく 心を揺さぶる 花の名前 キィ――――――ッツン、と耳障りな音が響いた。 隣で騒いでいた女子も口を噤み、前 ― 壇上に立つ少し髪の薄い中年男 ― を見る。 先ほどまでの喧噪が嘘のように静まりかえるのを待って、男は少し間延びした声で喋り出す。 その様子を見届けてから、俺は静かに席を立った。 スピーカーから漏れる鈍い音が、まだあの場にいるような錯覚を引き起こす。 大会会場から真逆に位置するこの研究棟は、休日ということもあって人気がなかった。 平時にまして誰もいないのは、おそらく水泳部の応援に行っているからだろう。 はぁ〜〜、着きたい時は全くたどり着けないのに、 何故こうもどうでも良い時には、あっさりと到着するのだろうか。 ただ心が急いていたのだと、思う。 早く、一刻の早くあの場所から、あの光景から離れたかっただけなのだ。 奇声をBGMに、次々と水際に駆け寄る女子生徒 口々に紡がれる賞賛や注がれる熱く熟れた眼差しに、濡れた髪をかき上げ礼を述べる男 控えのベンチから出てきた部員と顧問、はにかみながらタオルを渡すマネージャー 敬愛するコーチに頭を下げ、少し緊張しながらも嬉しそうに話すあいつ そしてやつは、呼びに来た大会運営委員に連れられスタッフルームへと入っていった、一度も俺を見ずに。 まるで俺など存在しないかのように。 あああっ!!もう、クソッ! 見つかるわけがない、俺は生徒会長と一緒に二階席に居たのだし、 あいつは自分を取り囲む女子達の相手で忙しかった。 別に、見つけられなくても仕方がないし非難される言われもないだろう。 序でに言えば、今日応援に行くとも言ってないし。 それもこれも、奴が女に手を出しまくってるからだっ!! 大会に出場している他校の女子まで味方につけた姿はある意味圧倒されたが、それ以上に頭痛の種となった。 これでまた内外から苦情が寄せられるに違いない。 しかも、今日は何時も以上に薄ら笑いを振りまいていた気がする。 なんだっ、春だからか!?気温と水でついに頭全体が花で覆われたのかっ!? 順番が回ってくる間も終始上機嫌で、それが余計に癪に障る。 どうにもやり場のないもやもやは、シャーペンを持つ手で発散することにした。 三階の窓から西日が差し込み、現在の時刻を教えてくれた。 どうやらあれから随分時間が経ったようだ。 「そろそろ帰るか。」 共に観戦していた人も、自分が見つからず今頃大いに焦っていることだろう。 そう思うと少し申し訳ない、前触れなく席を離れた時のあたふたした顔が浮かんだ。 外より僅かに冷たい空気を纏い、相変わらず誰もいない棟の階段を下る。 きっと彼には何故自分が唐突に席を立ったかなんて理解できないだろう、 かの青年は何処までも優しく素直で、純粋だから。 階段を下りきり扉を開けると、枝垂れ桜の花弁が一斉に舞い風に運ばれてゆく。 その光景にささくれ立っていた心が完全に解けてゆくのを感じた。 「やぁ、課題終わったのかい?」 目の端にこの男を捕らえるまでは。 「なっ、んで貴様がここに、」 「会長殿が教えてくれたんだよ。君が表彰式を見ずに此方へ行った、ってね。」 前言撤回。あの馬鹿、後でとっちめてやる! 泣く泣く書類に埋まってゆく男を想像した後、ふと目の前の男の違和感に気づいて眉を顰めた。 「お前、まだ濡れてる ・ ・ ・ ・ 」 「うん?ああ、大会後だっていうのに、練習があってね。乾く暇がなかったんだよ。」 「そうじゃない。なんでちゃんと乾かしてから来なかったんだっ。」 ほらっ、下向けっ! 言って、奴が掛けていたタオルで勢いよく頭を拭いてやった。 日に照らされ艶やかに光る黒髪が俺の鼻先を擽る。 よく見れば、髪だけでなく腕や首周りもまだ少し湿り気を帯びている。 いくら春でも、昨日まで雨が降っていて気温は低いしだんだん冷えてくる時間帯だ。 下手をすれば風邪を引きかねない。 「だって、君とすれ違いになったら困るじゃないか。色々と。」 俺の行動を甘受しながらそう言う。 「色々って何だ、」 そう訊くと奴は、にこり、と形容できる嫌な笑みを此方に向けてきた。 思わず一歩下がろうとした腕を捕まれ、逆に引き寄せられる。 「君が迷子になって遭難しちゃうとか、変な男に声を掛けられるとか、 あまつさえそれに付いて行っちゃうとか?」 「なっ!誰がっ、―――― 」 「それに、」 そこで言葉を句切って顔をのぞき込まれた。 バチッと合った瞳は先ほどまでと違い穏やかな笑みを湛えていて、少し寂しそうだった。 「早く ・ ・ ・ 君に、会いたかったんだ。」 あぁ、と。その言葉で全て分かったような気がした。 だから。こいつの求めている台詞を言うのは凄く恥ずかしくて照れくさくて、 普段なら絶対に請われても言ってなどやらないけれど。 「その、・ ・ ・ ・ ・ ・優勝、おめでとう。」 気恥ずかしいのをどうにか堪え、奴の方に目を向けると、 柄にもなく満面の笑みを浮かべた顔がそこにはあって。 「ああっ!とにかく戻るぞっ!貴様、そのために来たんだろう!?」 居心地の悪さを誤魔化すように、 タオルをこいつに押しつけて部活用というには広すぎる屋内プールへと急ぐ。 置いていくぞ!、と叫べば後ろからクスクスと笑う声。 「うん、そうだね。・ ・ ・ その角を右だよ、絳攸。」 そう言って隣に追いついた男を睨み上げると、再び腕を捕まれた。 そして、そのまま一気に走り出す。 「おいっ!楸瑛っ!?」 「早く行くよっ、きっと待ってる。」 ― 待ってる、― 俺だって待ってた、お前が迎えに来るのを。ずっと待っていた。 決勝へ向けてストレッチを繰り返す声を聴きながら、 ジャージの下から現れた均整のとれた体躯に見惚れながら、 きつく眉を寄せながら腕を回す姿をはらはらと観ながら、 荒い息を吐きながらも電子ボートを見て和らげる表情に安堵の息を漏らしながら、 ずっと俺の方を見て、微笑ってくれるのを。 この男は、それを分かっているのだろうか? 固く握りしめる節くれ立った手を、そっと握り返す。その意味を。 楸瑛が水泳部ですかっ!?、 いやいや“仮部員”だと思います。そう信じたい 「助っ人として1,2月から頑張ってたんじゃない?」という裏設定(いらない) 二人の設定はまだですが、劉輝が会長だとすると 楸瑛は体育総務かな?なんて。絳攸は副会長と会計を兼任してそう。 コーチは黒大将軍だったり、顧問はなにげに酔いどれ尚書だったらいいなっ♪ 完全な楸×絳じゃないです、友人以上双花で、楸瑛 ← 絳攸 というより、今高校に水泳部が在るとこってどれくらいなんでしょう。 うちは中高共になかったんですが(高校はプール事態がないんで論外) date:2006/09/10 【宿花 , "花の名前" …「何でもありな100のお題」より 】 |