春、自分たちを迎え入れようと校門に咲き乱れていた桜 それがいつの間にか昨年の出来事となってしまったのは先月 それを無性に寂しいと思ったのは、 ・ ・ ・ ・ ・ ・ たぶん、あの男のせい 善き羊飼い “2月の下旬、暦の上では既に春とはいえ、実際にはまだまだコートが手放せない。” コンビニという冷暖房完備の場所から一歩外に踏み出すとき、俺はいつもそう思う。 特に今日はやけに、・ ・ ・ ・ ・ ・。 べ、別にあいつがいないからじゃない!断じて違うっ!! って、誰に弁解してるんだ、俺 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 楸瑛は今日バイトを休んだ。 ついでだから言っておくと無断欠勤ではない、と思う。 バイト当日に、理由も言わず一方的に休むと店長に伝えることが良いのかと聞かれたら答えることは出来ないが。 まぁ、今回は私的な理由ではないのであいつに非はない、だろう。 たぶん。 ――――― それにしても、 「寒っ、」 やはり制服とマフラーだけでは夜の冷たさからは逃れられないらしい。 しかも、委員会が予定よりかなり長引いたため、バイトに来る前に夕食をとれなかった。 よって今午後の9時を回った所、俺の腹は未だ何も入っていないまま。 最悪だ、 寒さと空腹、人間にとってこれほど辛い組み合わせはない。 とにかく早く帰ろう、それが先決だ。 「あっ!絳攸、まだいたのか。」 先程自分が閉めた扉から出てきたのは、楸瑛より少し背の高い男。 長細い顔、鳥の嘴のような鼻の横には黒子が二つ、そしていかにも体育会系といった風情の身体。 だらしなく半開きの口はとてもよく回る。 「大西先輩、」 学校の先輩ではなく、バイトの先輩。彼は自分達より半年ほど早くこのコンビニで働いている。 年を聞いたことはないがおそらくは二十歳前後だろう。 「なぁ絳攸、真人で良いって。」 「いえでも、えっと一応けじめはつけるべきだと、」 「はぁお前、いつもそう言うよな。」 そう言いながらいつの間にか目の前に立っている。 不思議に思って声をかけようとすると、いきなり持っていた鞄を掴み取られた。 「えっ、ちょっ、」 「飯食いに行こうぜ、俺の奢りだよ。お前、まだ食べてないんだろ?」 確かに、まだ夕食を食べていないしお腹も空いている。しかし、 「いえ、家で何か作って食べようと思っているので。」 いくら奢りとはいえ、好きでもない、 否、むしろあまり好いていない部類に入る人間と食事をしたいとは思わない。 それに何故、俺が夕食食べ損なったことを知っているんだ? そんな素振りを見せた覚えはないし、今日この人と話したのはこれが最初だ。 「なら、送っていく。」 「えっ?」 何故、夕食から急に帰りの話になるのか。 しかも、なら、ってなんだ と思ったが、彼は絳攸の疑問などお構いなしに既に歩き出している。そして、手には自分の鞄。 はぁ、仕方がない この先輩は一度言い出すと、他人の言う事など全く耳に入れようとしないのだ。 今までにも何度かそういう現場は見てきた。 幸い、自分にその火の粉が飛んできた事は無かったのだが。今回は運が悪い。 あの人と駅まで(おそらくはそうだろう、何せ先輩の自宅は反対方向だ) 一体何を話せばいいのか、というかちゃんとした会話になるのか。 かなりの不安を押し込めて、既に重い足を前へと出した。 「でさぁ、真美がなかなか来てくれなかったらしくて。 それで俺が仕方なく、――― 」 幾つ目かの角を曲がりながら、先輩は相変わらず喋りまくっていた。 コンビニを出てから喋りっぱなしで、よくもまあ話のネタが尽きないものだ。 しかもその殆どが、自己の自慢話や誰とも知れない人への罵詈雑言なのだから、いい加減気分が悪くなってくる。 「―――― って、真美が言うんだよ。絳攸もそう思うだろ?」 「はぁ、そうですね。」 何かもう疲れた ・ ・ ・ ・ ・ けれど、案外めざとそうなので一応返事だけは返しておく。 だいたい真美って誰だ!、 と今更思っても彼は既に違う話題にいってしまっている。 この人はいつもそうだ。 思えば最初の顔合わせの時も『よろしく、絳攸』などと名前で呼ばれた。 それは自体は悪くない、・ ・ ・ ・ 俺の方が年下だし、 けれど彼の場合は変に馴れ馴れしいというか、・ ・ ・ ・ ・ それでもまだうまく接してこれたのは、偏に、あの口上手男のおかげだろう。認めたくはないが。 あいつの口上に騙されるのは女性だけではない、という事を改めて認識させられる日々だった。 それに、――――――― 「先輩、」 もう何度目か数えるのも嫌になった角を曲がろうとした彼を呼び止める。 すると、彼はゆっくりと時間をかけて此方を向く。何故呼び止められたのかは分かっているようだ。 「どうした?」 「どこへ向かっているんですか?」 駅よりも少し住宅街寄りのコンビニを出て20分、 本来ならとうに駅について空いた電車に乗っている時間。 今いる辺りもそれなりに明るく活気があるが、駅前のそれとはほど遠い。 「 ・ ・ ・ ・ 駅だぜ、他にどこへ行くんだ。」 あくまでしらばっくれる気らしい。 さっきから聞きたくもない話を聞かされ、理不尽な要求に応えてきた頭は だんだんと沸騰してきている。 「先輩、鞄返してください。」 そう言って彼の前に腕を突きだした。 途端にそれまで浮かべていた薄笑いが消える。 「・ ・ ・ なんで、分かった?お前、方向音痴だろ?今此処がどこかなんて、」 ちょっと待てっ!なんで知ってるんだっ!? この男にバイト先以外であったことはないし、連れだって歩いたのもこれが初めてで もちろん方向音痴について話したこともない。 その事への疑問が出かかって、・ ・ ・ 止めた。 質問しても答えてはくれないだろう。 ならば、この男の問いに答えてやった方が話が進みやすい。 「確かに此処がどこかは分かりません。でも、」 20分経っても駅に着かなければ、違う場所に向かっていることぐらいは分かります。 相手を睨み付けながらそう答えた。 「藍、か ・ ・ ・ ・。」 憎々しげにその名を口にする。 その通り、 でなければどんな場所に連れて行かれても自分では疑うことすら出来なかった。 楸瑛が毎回バイト後に一緒に帰ってくれなければ、コンビニから駅まで何分で着くか、 周りにどんな店があるかなど知らないままだったはずだ。 「くそっ!!あの男、とことん邪魔な奴だっ!」 藍家のクソガキがっ!!、アスファルトに叩きつける勢いで口汚い言葉を吐き出す。 だんだん自分の身体がメラメラと熱い炎を帯びてくるのを感じる、自分への羞恥からではなく。 「なぁ!あんなナヨナヨした男より俺と遊ぼうぜっ!!楽しませてやるからよっ!」 そう言って俺の手を掴み強引に引き摺っていこうとする。 だが恐怖で竦み上がるはずの場面でも、俺の頭にあるのは逃げる算段ではなかった。 「お前に楸瑛の何が分かるっ!?」 「あんなの、藍家の権力を傘に着て好き勝手してる唯の腰抜けだろっ! 女で遊んでんのだって、どうせ ――――」 「腰抜けは貴様だっ!!!誰か側にいなきゃまともにあいつと話すことも出来ないだろうがっ!」 「なんだとっ!!!」 今や目の前の男は完全に自身の理性をかなぐり捨てている、 元々捨てるに足りる理性を有していたのか、少し疑問ではあるが。 逆上して此処が往来だという事にも頓着せず、両腕を掴まれそのまま身体を密着させられる。 まずいっ!! さすがにこの状況はやばい、頭脳とは違う部分が警鐘を鳴らしている。 どうにか離れようとするが、力の差に体格差も相俟ってなかなか思うように腕が動かせない。 「っち、大人しくしてろっ!!」 誰がっ!!、と言い返したところで、その声が自分の頭の下から聞こえた事に気づく。 と、首筋にザラリとした生温い感触 一気に鳥肌が立つ 頭が何をされたかを理解する前に身体が動いていた。 温かな明かりが目の端に留まる。そこに来て漸く忙しなく動かしていた足を止めた。 同時に、2月だというのに体中から汗が噴き出る。 熱い、燃えてるんじゃないかと思うくらい。とにかく熱い。 どうにか息を整えようと空を見上げた目に映ったのは、天辺が細く尖って見えるほどの超高層マンションで。 此処は、・ ・ ・ ・ ・ ・! 現在地を把握した途端、今までの緊張が雲散し一気に脱力した。 全く、よりにもよって何故此処なのか。これでは自分があの常春頭に会いたいようではないか。 断じてあり得ない、否、あってはならない。 けれど、 「一応、・ ・ ・ ・ 訪ねてみるか。」 居るとは思わない、今日明日は藍本家に泊まると言っていたから。 それでも未だ不安が渦巻く心は、少しでも楸瑛に近づきたいと欲してやまない。 ゴシック調のアーチを抜けた先にある玄関扉は、機械化された現代社会の冷たさを持ちながら、 それでも温かなレンガの色合いが醸し出すレトロな雰囲気と巧く調和していた。 鞄からカードキーを取り出す。 自分同様、高校進学時に一人暮らしを始めた楸瑛。これはやつの新居を初めて訪れた時に渡された物。 曰く、『私に会いたくなったら、いつでもおいで。あぁ、ちなみにそれで部屋の方も開けられるから心配ないよ。』だった。 渡された時酷く反発した事が慮られて、実際に使ったのは2,3度ほど。 それでも今は彼の信頼がとても嬉しい。 一年も前のことを思い出し僅かに緩んでいる頬をキュッと引き締める。 ピッピッっと言う音と共に、重厚な扉が開いてゆく。 中へと入り、何度目か分からないほど乗ったエレベーターでやつの部屋へ向かった。 俺ならば適当に3,4階の部屋を選ぶのだが、あいにく楸瑛が選んだ部屋は最上階の一つ下。 最上階とその2階下までは他のフロアと違い部屋数が4つほど少なく、その分部屋が広い、というのが選択理由らしい。 俺からすれば通常の規格でも十分な広さなのに、一人暮らしの高校男子が4LDKもあって一体何に使うのか。 そう訊くとあの男は静かに笑んでいた。 その瞳が泣くように歪んで見えたのは単なるエゴだろうか。 いつの間にか着いていた楸瑛の部屋の前で扉に背を預けその場に座り込んだ。 剥き出しの耳が痛い、熱いヒーターの側が恋しい。 けれど、何故か中に入る気にはなれなかった。 帰ってくるのを、期待しているのか? そんなわけないのに。 暗く冷たい部屋を見てやつが居ないのを再確認する事、それをただ拒んでいるだけなのか。 そんな事、どちらでも良い ・ ・ ・ ・ 空腹から襲う眠気が思考を緩慢にしていく。 その時、ふっと淡い灯火が点る。 “―――――― ・ ・ ・ ゆう、 絳攸” 落ちてゆく意識のどこかで、囁くように、甘い楸瑛の声が聞こえた気がした。 By 蔡岐 【宿花 , "善き羊飼い" …「何でもありな100のお題」より 】 |