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どこかで文鳥が鳴く

琵琶の音がすぐ側から聞こえてきた……



太陽が中天を過ぎ、爽やかな風が庭を吹き抜ける。
その中、赤い花を持ち、風向きに逆らって走る子どもがいた。

「百合さん!!」

大声で呼び続けてどれくらいになるだろう。
今日に限ってなかなか見つからない百合を絳攸は探し続ける。

「百合さんっ、どこですか!」

(おかしい、いつもならすぐ返事を返してくれるのに)
彼女は、絳攸に何も言わず出かけてしまったのだろうか。

「ゆ…っ」

さらに大きな声で名前を呼ぼうとした口は、上から降ってきた扇に阻まれた。
(い、痛いっ……)
目尻に涙をためて頭上を仰ぐと、やっぱり不機嫌な顔の養父がいた。

「黎深様…」

「静かにしていろ、起きてしまうじゃないか。」

「え?」

いつの間にか、扇を広げて口元を隠した黎深は絳攸から目を逸らした。
そのまま、じっと庭の隅にある一本の樹を凝視する。
絳攸がその視線の先を追ってゆくと……。

「あっ、百合さ…っ!」

「静かにしろっ」

また、容赦なく扇で叩かれた頭を抱えて、絳攸はその場に蹲った。
樹の下に百合が居た。
膝の上に琵琶をおき、幹にもたれ掛かり、眠っていた。
(あ、だから呼んでもお返事がなかったんだ)
絳攸はようやく理解した。

けれど、遅すぎた。

「ちっ」

「……黎深様?」

「ん〜〜、う?……絳攸?」

「えっ」

寝ていたはずの百合が、ぐっと両手を上げて伸びをする。
その瞬間、刺すような視線が絳攸を貫く。
おそるおそる視線を上げると、黎深が扇の上からこちらを睨んでいた。
目は口ほどにものを言う。
(うわぁー、怒ってらっしゃる!!)
絳攸がうるさくしたから百合が起きてしまったのだ。

「ん?ちょっと、黎深。君、何絳攸を睨んでいるのさ。」

「百合さん…」

蛇に睨まれたカエルよろしく固まっていた絳攸は、百合の言葉にはっと顔を上げた。
まさしくこれは天の助け!

「絳攸、怖がらなくても良いわ。大丈夫!……黎深、絳攸を苛めるだなんて、」

「何を言っている、馬鹿めが。この私が、」

「え…っ」

天の助け、のはずなのだが。
面前で繰り広げられる百合と黎深の応酬に、絳攸は呆然となった。
(ふ、夫婦喧嘩っ!?)
自分のせいで二人が喧嘩をしている、とパニックに陥る。
(な、何とか、止めないとっ!)
その時、はっと百合を探していた目的を思い出した。

「百合さんっ」

……無視。
白熱した言い合いの中で、絳攸の声はかき消されてしまう。
しかしここでめげてはいけない。

「百合さん!…ゆりさん!」

「う、え?何、絳攸。心配しなくても、君の事はしっかり僕が……」

「ちがうんです!……え、と。これ!」

百合の意識がこちらに向いた好期を逃すわけにはいかない。
絳攸はずっと握っていた花を百合の前につきだした。

庭に咲いていた赤い華。
使用人の人が、今日は母の息災を祝う日ですよ、と教えてくれた事を思い出した。
隅っこに咲く目立たない小さな花、けれどどうしても目を引いたもの。
百合へ、ときれいに引っこ抜いて、ここまで持ってきた。

「かわいい花だね、私に?」

「は、はいっ!」

(受け取ってもらえた…)
絳攸は安堵した。
だから、横で黎深が般若の形相で、あげた花を睨んでいる事には気づかなかった。

「ありがとー、絳攸。」

そう言って百合は受け取った花をくるくると回す。

「いいでしょ、黎深。
君の的外れな贈り物センスより、よっぽど女の子の心をわかってる!」

「うえええぇぇっ!」

(そこで、黎深様に振るんですか!?)
ちらりと黎深を見上げると、眉間に深々と皺が刻まれている。
絳攸の努力は無意味に終わったらしい。
再び、口喧嘩を始めた二人に絳攸は泣きそうになる。

まだ幼かった、庭の中で出来事。


date:2008/05/11   by 蔡岐