双花菖蒲 , 〜 ゴミ箱の中に宝物 〜 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 「楸瑛っ!」 「おや、絳攸。どうしたんだい?」 また迷っていたの?、と相変わらず胡散臭い微笑を浮かべながら問うてきたこの男に、 ふと、常にはないような緊張を感じて急がせていた足を止めた。 違和感に眉を寄せる俺に気づいているのかいないのか、 年中頭を湧かせている常春は薄ら笑いを止めようともしない。 そんな、なんでもない様子で取り繕って。「どうしたの?」なんて、訊かないで欲しい。 天之岩戸から、仄暗い内を覗き込んだのは 「どうかしたのは貴様の方じゃないのか。」 だからつい、口調が荒っぽくなってしまうのだ。 沈んでいる時でさえ、素直に自分に背中を預けてくれないこいつが、本当に憎らしい。 何があったのか、なんて訊けるわけがないし訊こうとも思わない。 それは、俺が曲がりなりにも紅家当主である黎深様の養い子で、 こいつが藍家直系で現当主の弟である以上、どうしようもないことで。 そんな事は初めて会った時から分かり切っていたことで。 「私が?別にどうもしないのだけれど、」 そう、 お前が一度として俺に素面で接してくれたことが無いことくらい、当の昔に理解していた。 俺のためを思って、そうしてくれているのだということも。 けれどそれはあまりにも優しすぎて、残酷すぎる事だと、お前は気づいていないのだろうか。 「嘘を吐け、だったらどうして、」 この雨の中、わざわざ屋根のない場所で池を眺めているんだ。 そう常以上に厳しい口調で糾すと、目の前の男が静かに、ゆっくりと口元を歪めた。 優しすぎる言葉ほど行動ほど、時に何よりも恐ろしく誰かを傷つけるのだと。 知ればいい、身をもって知れこの常春。 そうすれば少しはお前の女癖の悪さも、直るかも知れない。直せるかも、知れない。 「否、ちょっとね。雨にでも当たりたい気分だったというか、」 言いながら淡く苦笑する姿に、こっちまでつられてしまいそうになる。 馬鹿が。そんな見え見えの嘘を吐くな、そんな苦しそうな表情で無理に笑おうとするな。 失敗してみっともない事この上ない。 花街で、後宮で、浮名を轟かせているやつにはとてもじゃないが見えないぞ。 気が付けば勝手に足が動いていた。 不意に感じた他人の体温に驚いたのか、珍しく慌てた様子で振り返った男にしてやったりと微笑む。 「絳攸、」 「なんだ?」 (お前のせいだぞ、) 『吏部の鉄壁の理性』である俺が考える前に身体が動く、なんて。 こんな姿を部下に見られたら、本当にどうしようか。 まず間違いなくそいつはパニックに陥って、下手すると所構わず叫びだしてしまうかも知れない。 それくらい、今俺がとっている行動はあり得ないだろう。 土砂降りの雨の中、水溜まりが点在する庭院を傘も差さずに歩いているなんて。 「絳攸、戻って。君まで風邪を引いてしまう。」 俺を心配そうに見つめる男に、その言葉そっくりそのまま返してやる!、とはどうにか叫ばずにすんだ。 怒りよりむしろ呆れが心中のモヤモヤの大半を占めていたからだろうか。 「職務怠慢はいただけないな、藍将軍。」 急に改まった口調になった俺に、 楸瑛が僅かに眉を寄せたのを見届けた後、ゆっくりと次の言葉を紡いだ。 目の前の、未だ俺の心すら読めていないやつにしっかりと言い聞かせるように。 だいぶん雨に打たれて、鈍くなっているこいつの頭に一字一句叩き込んで咀嚼させるために。 「我らは王の花菖蒲、だろう? なら、貴方がしっかりと執務に復帰するところを見届けるのも、私の役目だ。」 つまりは、お前が動かないのなら俺も温かな屋根元に戻る気はない、と言う事。 瞬間、揺れた藍の瞳はすぐに雨に隠されてしまった。 距離感の掴みにくい場所で、けれど絶対に引くつもりはないのだと解らせるために、 笑いの消えたやつの顔を真っ向から見据えた。 我ながら酷く卑怯だと思う、こんな風にやつの良心を盾にするような―――――。 けれど我慢がならなかった。 誰にも頼らず、外朝のはずれの滅多に人の来ない寂れた場所で、一人悶々と考え込んでいるなど。 しかも日が沈みきった宵の雨の日に。わざと図ったとしか思えない。 ただ、悔しい。 お前にとって俺はなんなんだ、と。馬鹿げた事を叫びそうになるくらいには。 親友というのなら、こんな時にこそ役に立たなければならないのに。 お前がこんな風に感情を表に出す事など滅多にある事ではないから。 (こういう時くらいしか、俺はお前の役には立てないのに。) 昼間から降り出していた雨は、今も変わらず天から降り注いでいる。 最初に路を交えたのは、一体誰だったのか―――――――。 |