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春が過ぎ けれど終わったとはいえない日

夏にはまだ けれど始まっていないともいえない季節



揺れ動く時間の境


「楸瑛っ」

「ん?」

「しゅうえい!!」

振り返ると、血相変えて走ってくる同僚兼親友の姿があった。
珍しい事もあるものだ、
朝廷内、しかもこんな人の目のあるところで彼が慌てて、私の名を呼んでいる。

「どうしたんだい、絳攸。そんなに急いで」

「どうしたもこうしたも……お前、もう知っているのか?」

彼にしては要領を得ない。
ようやく追いついてきた絳攸は、肩で息をしながら何か焦っていた。

「知っているって、何をだい?」

「え、知らない、のか?」

だから何を、と今の私はそう言う顔をしている気がする。
絳攸も合点がいったらしく、落ち着いてきた息を吐きだした。

「あの莫迦お……主上が、」

そこで合点がいった。
バカ王と言いそうになった事には目を瞑ってあげよう。

「ああ、主上がお風邪を召されたって?」

「知ってたのかよっ!!」

絳攸の機嫌は一気に急降下したらしい。
みるみる凶悪顔、だと本人が思っている顔になってゆく。
私にしてみれば、 彼は怒っていても泣いていても怒鳴っていても可愛く様になるのでまったく問題ない。

「うん、いつもながら絶妙なつっこみだね」

「貴様ーっ、巫山戯るな!」

「あはは、いやだな絳攸。私はいつも至極真面目だよ」

「どの口がほざく!!顔がにやけとるわ気色悪いっ!!!」

彼の鉄壁の理性を外して遊ぶのは面白い。
しかし、これ以上はさすがに周囲の注目を集めるだろう。
集まりかけているギャラリーを視線で散らせる。

「はいはい、それで?」

「ぐっ」

本当に、君って人はどうしてそう表情が変わるのだろうねえ。

心底疑問で、なおかつ微笑ましい事を口の中だけで呟く。
態とらしいと自信で自覚している仕草で、首を傾げる。
絳攸を見続ける視線は逸らさない、これが鉄則。
後は、彼が根負けするのを待つ。

「朝、出仕したら誰もいなくてだな。それで、聞いたら風邪を引いたと。
だから、……お前を誘ってちょっと後宮に」

「主の居ぬ間に美しい花を手折ろうと?」

「そ……んなわけあるかぁ!!!」

「ははは、ごめんごめん。君に後宮という響きが余りにも会わなくて、ね」

彼に後宮という言葉ほど相容れないものはない。
諸事情により一部以外、女性を毛嫌いする彼に安堵を零した事が何度あっただろう。
それで可能性が上がるわけではないにもかかわらず。

「巫山戯るのも大概にしろ、貴様っ!!」

俺とお前を一緒にするな、万年常春頭莫迦男!阿呆男っ!
そんなに女と遊びたきゃ花街にでも勝手に行け、後宮で手を出すな!
誰が、女官達の不満を訊かされると思ってるんだ!?
何故、俺がお前の尻ぬぐいをしなきゃならん!!
馬鹿らしいっ、ああ本当に馬鹿らしい!まるで、俺が阿呆みたいじゃないか!!

以下略。
絳攸がゼーゼーと肩を上下させている。
長々と怒鳴り続け、さすがに彼も限界らしい。
彼を怒らせる私も私だが、絳攸の怒濤のようなしゃべりには毎度感服し呆れる。
肺活量では間違いなく貴陽一だろう。

「つまり、二人で主上のお見舞いに行こうと言う事だね」

絳攸の説教をすっぱりと無視して、話を元に戻す。

「……貴様、な…………はあー」

絳攸は、本筋に強制修正されたことに怒る気力もないようだ。

「お見舞い、じゃない。風邪とは言っても、咳程度の軽いものらしいからな」

今日中に仕上げなきゃならん仕事を持っていく。

男らしく言い切った絳攸は、なぜか私を睨み上げてきた。
照れ隠し、だったと気づいたのは不覚にも主上の寝所に入ってからだった。



並んで後宮へ続く回廊を歩いてゆく。
昼前の朝廷は改めて気を配ると驚くほど静かで、 ときたま聞こえてくる羽軍の訓練声がやたらと耳に入ってくる。
両将軍に諍いに巻き込まれ、今日も涙を呑んでいるだろう同僚に合掌した。

「羽軍の声がよく響くな」

絳攸も同じ事を考えていたらしい。

「そうだね」

応えて、苦笑が漏れた。
同じ事を考え同じ方向に向かっているのに、さきほどからまったく視線が合わない。
原因は間違いなく私だが、絳攸がそこまで怒る事を言った憶えはない。
むしろ、存在の影すらない彼の未来の伴侶に手前勝手に嫉妬していただけだ。

「絳攸?」

「何だ」

相変わらず目を合わせられない。
強硬手段、とばかりに前方に回り込んで歩みを止めさえる。

「何……っ!」

「どうしたんだい、さっきからずっと上の空で」

笑顔を張り付かせて、嘘を吐く。
聞きたい事は違うこと、けれど馬鹿正直に尋ねるには私も彼同様矜持が高すぎる。
背を屈めて絳攸の顔を覗き込む。
素晴らしい速さで逸らされた顔に、少しだけ、胸が軋んだ気がした。

「……別に、なんでもない」

「はい、嘘」

自分は、何でもない顔をして指摘する。

「絳攸」

顔を更に近づけて、逸らされた彼の耳で囁く。
びくり、とわずかに絳攸の肩が震えて、手は握り拳になっている。
真っ赤な顔が、怒りか羞恥か、どちらかわからない。

「ね、絳攸」

「ううっ……」

勝った、と思った。
その瞬間、絳攸の顔がぐりんと正面に向き直る。
仰け反るほど近くにある彼の瞳は、やはり透きとおって美しかった。

「手を出すなよ」

「は?」

あまりの迫力に思わず間抜けな声が漏れた。

「女官に手を出すな、いいな?
これまでの事には蓋をする、だから今後は自重しろ!
女と遊びたけりゃ花街へ行け!俺の見えないところでやれっ!!」

「……どうしたんだい、絳攸」

今まで、苦言はあっても、これほどまではっきりと言われた事はない。
思うに先ほどの続きらしいが、どうこんがらがって繋がってきたのかさっぱりだ。

「どうなんだ、するのかしないのかっ!」

絳攸の表情には鬼気迫るものがあった。
その奥に見え隠れするのは、苦悩、悲しみ。

「わかった、君がそこまで言うのなら」

私の行動が彼の気に障るのなら自粛すべきだろう。
そうすると、余計に自制が効かなくなりそうだが、そこは理性で押さえ込むしかない。

「そうか」

はぁー、と息を吐き出した絳攸に、複雑な思いが込み上げる。

「ほっとした?」

「するかっ!どのみち、俺の苦労は減らんだろうがっ!!」

今度はしっかりと目があった。
絳攸限定で胡散臭いと評判の微笑に、やはり嫌そうな顔をする。

「いい加減、そこを退け!早く行かなきゃ、今日の仕事が終わらんっ!」

「はいはい」

「さっさと行くぞっ」

「……絳攸、そっちは今来たところだよ」

「………………っ」

「さあ、行こうか。きっと、主上も寂しがってるよ」

そう言い、強引に絳攸の腕を取る。
強すぎず、だが振り解けないほどには強固に掴む。
手のひらから伝わる微熱と、私と同じ節くれ立った手、 けれど私よりよほど柔らかく、折れてしまいそうなほどしなやかな指先を感じる。

後ろを振り向いて、絳攸の目を探す。
ぴたり、と視線を合わせて笑った。

ばっと逸らされた顔にも、もう胸は痛まない。

「恥ずかしがる事ないじゃないか、絳攸。私と君の仲だろう?」

「どんな仲だっ!?
お前とはただの腐れ縁だ、早く腐りきって落ちてくれないかと、ずっと思ってるわ!!」

「ははは、無理だよ。腐りきる途中で、お互いへばりついてもう離れないよ」

「恐ろしい喩えをするな!!」

確かに、我ながらすごい喩えだと思う。
未練たらしいといったらしない。

「おい、聞いているのか。楸瑛!」

「うん。絳攸、目的地に到着したよ」

目の前には適度に重厚で適度に華美な扉が立ちはだかっていた。
内から、人の気配が二つ。

「えっ……いつの間に」

「話している間に、かな」

「一々答えんでいい!」

怒鳴る絳攸を無視して、軽く扉を打つ。

「さあ、行こうか」

「ああ」

ギギ、という重厚な音が回廊に響いた。

date:2008/02/14   by 蔡岐

Lanterna , "揺れ動く時間の境"】