白い白い光の中、少年は泣いていた

   泥だらけで、至るところが擦り剥け、傷だらけで、





   君は僕の全てだった



あぁ、と思った。
これは夢だ、遥かな昔の夢。私がまだ兄上に出会う前の ―――――。

(この数日後に、・ ・ ・ ・ 清苑兄上と初めてお話したのだ、)


毎日毎日兄達からの終わりのない折檻を受けていた。
この日はそんな兄の一人、第一公子の虫の居所がとても悪くて、 いつもなら半刻もすれば飽きてどこかへ行ってしまうのに、時間の経過と共に暴力は酷くなる一方で。

誰も止めるくれる人など、いなかった。
母でさえも。
ただ私がボロボロで帰ってきても、目の前で苛められても。冷めて凍てつく目で私を睨め付けるだけで。
その表情を見て、頬を叩かれるたびに泣きたくなった。
否、実際泣いた。
それが余計に母や兄達の気に障って、一層打つ力は強くなって。
また泣いた。



泣いて泣いて、泣き疲れることもなく、 ただただ暗く湿った陰でしゃがみ込んで次から次から溢れる滴を野放しにしていた。
抵抗することも、歯を食いしばり耐えることすら出来なかった、弱虫だった自分。

( ・ ・ ・ ・ ・ 弱虫なのは、今も変わらないのだったな)

今でも、兄上と秀麗と邵可と、それから楸瑛と絳攸と。
彼らの前では、まだまだ泣き虫で弱虫で馬鹿なお子様、のままだ。




そんな日常のほんの合間だった。
前日の傷が癒えるまもなく新たな傷を刻まれていく、 いつもと同じ最悪な日が、人生最高の日に変わったのは。

静かに、僅かにいぶかしんだ声で暗闇へと投げかけられた言葉。
顔をのぞき込まれる気配に、びくりとしたのを今でも覚えている。
理由は簡単だ。

(直接顔を拝見したことがなかったから、)

着ている着物と、髪の色、端整な顔立ちでその人物が誰かはすぐに分かったけれど。
知ってしまった途端、また恐ろしくなった。
この方にまで嫌われたらどうしよう、と ――――― 。







見上げれば、其処には見慣れた装飾が施された天井と。

「 ――― 兄上、」

「おはよう、劉輝。」

微笑みを浮かべた兄の姿があった。

(そうだった、昨日は静蘭が守衛をしてくれたのだ)

優しい優しい兄、それは今でもちらとも変わらず。
相変わらず我が儘な私の側にいてくれる。
昔からどこまでも私を甘やかしてくれるこの人は、 昨日からずっと、未だ夜の闇が恐ろしい自分のために傍らに寄り添ってくれたのだろう。

清苑兄上に叩かれたことはない、静蘭に怒鳴られたことはない。

5人の兄公子達の中で、唯一私に笑んでくれた第二公子。
私が心の底から慕って、渇望して、縋った ――――― 。

「どうしたんだ?まだ、眠い?」

平生の口調と違う、兄としての言葉。
それだけで胸が弾み、ほわぁーと心が温かくなる。

「いいえ、」

そこで言葉を噛み締める。
兄上と話している、この瞬間を幼いあの日何度夢に見たか。

何故か突然後宮から姿を消した清苑兄上、それは本当に唐突で。
昨日まで何も変わらなくて、
寝所の前でおやすみなさいを言った時も笑いながら手を振ってくれたのに。

「起きて最初に会う人が兄上で、とても嬉しいです。」

そう告げると、静蘭は笑いを含んだ声で「ありがとう、」と言った。
相好崩して、軽く頭を撫でてくれる昔と変わらぬ兄の手。

「私も成長して、立派になった弟を見れて嬉しいよ、」

ほんの少し前までは劉輝に近づくことも叶わなくて、城下から心配しているだけだったから。

「あ、案じてくれていたんですかっ!?」

私をっ、と息せき切って尋ねる。

「当たり前だ、大切な弟なのだから。」

(あっ、兄上ぇ〜〜〜!!)

まずい、涙が出そうだ。
せっかく兄上が、立派になったと言ってくれたばかりなのに。
ここで泣いてしまっては。
けれど、目の端に浮かんでしまったものはいとも容易く零れ落ちてしまった。

「まだ、泣き虫は直っていないんだな、」

「すいません ・ ・ ・ ・ ・ 、」

苦笑した静蘭に、恥ずかしい気持ちと申し訳なさが重なって下を向いた。
結局自分は最後まで兄上に迷惑をかけてしまう。
静蘭や秀麗が自慢できる王になると誓ったのに、己のことすら満足にできないなんて。

「いいんだよ、劉輝はそのままで。」

「駄目です、私は兄上や民の命を背負っています。良い王になると秀麗に、・ ・ ・ ・ 」

その先を続けることは出来なかった。
気が付けば先ほどよりも遥かに近くなった兄の声。

「あぁ、知っている。・ ・ ・ ・ ・ だがそれは‘王’としての話だ。」

「兄上、」

「大丈夫、」

大丈夫、それが何を意味する言葉なのか、今の私には分かる。

(本当に、)

なんて幸福な日々だろう、
昔なら願うことすらなかった、考えることすら出来ないほどの。

幼い自分には、あの宮が世界の全てだった。外、なんて概念すらなくて。
睥睨する兄達や終始王の寵愛が薄れたと嘆いていた母、年に数度しか顔を見たことのなかった父王と。 そして、物陰から手を引いて連れ出してくれた清苑兄上。
それだけで構成された世の中。
今、絳攸に毎日怒鳴られ楸瑛に催促されながら仕事をして、秀麗お手製の饅頭を食べて、 邵可とお茶をして。再び、兄上 ― 静蘭 ― に手を握ってもらえる。

夢を、見たからだろうか。昔の夢を。
きっとそうだ、きっと。だからこんなにも涙が溢れてしまう。


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date:2006/11/10   by 蔡岐

【宿花 , "君は僕の全てだった"…「何でもありな100のお題3」より】