夏雲




「これは、まぁ合格。こっちは手直しが必要で、後は ・ ・ ・ ・ 全部やり直しっ!」

蝉の声がようやく治まりをみせてきた頃、
扉の向こうから響く既に恒例になったしまった親友の怒鳴り声に、楸瑛は苦笑した。
できる限り静かに、怒れる相手に気づかれないよう執務室へ入る。

「全く!・ ・ ・なんですかこの書類はっ。真面目にやって下さい。
こんな物出したりなんかしたら、それこそ戸部尚書に見切りをつけられますよ!」

「うっ、しかし余だって ・ ・ ・」

「なんか言ったか!?」

「なっ、何でもありません!」

そう言ってしゅんと頭を垂れる青年に王の威厳など皆無だった。
この場面を何も知らない人が見たら、どちらが王なのか分からないだろう。 否、ほぼ十割の確率で絳攸の方を指すだろうか。

   毎度の事ながら、

面白い、と楸瑛は抑えども込み上げてくる笑みを口の端に乗せた。
すると、だれて机に突っ伏していた劉輝が顔を上げてようやく楸瑛に気づき目を輝かせる。
それに絳攸曰く‘女性向け’の笑みを返し、 彼にしては珍しく、若き王の少しの我が儘を叶えるために仏頂面の同僚を見遣った。

「絳攸、主上。良い茶菓子もありますし、そろそろ休憩にしましょうか。」

「楸瑛、」

眉間の皺をさらに深くした絳攸が「何を言っているんだ。」という目で此方を見る。
それに満面の笑みで返してやると、珍しく何も言わずに目を逸らした。

「このままの状態では何をやっても無駄だよ。適度に休息を取った方が効率がいい。」

「そっそうだぞ、絳攸!人間、息を抜く時は徹底的に抜いた方がよいのだ。」

「あんたの場合は抜き過ぎですっ!だいたい、まだ今日の仕事の半分も――――」

「まぁまぁ落ち着いて。それはまた主上が集中力を取り戻された後で 死に物狂いでやっていただければ良いだろう。」

「楸瑛ぃ、酷いぞっ!」

劉輝の言葉などばっさりと切り捨てて、楸瑛は絳攸を目に据える。
公式な場での彼の権限は吏部侍郎のそれに過ぎないが、幸か不幸か王の執務室の掟は絳攸なのだ。 彼の気分次第で、此処は南国から北国まで幅広く変化する。
楸瑛の視線に根負けしたのか、はたまた‘飴と鞭’論にも一理あると思ったのか。

「はぁ、仕方ない。いいですか主上。適度な休息とやらが終わり次第、 残りの仕事に明日の分の書類もつけて、しっかりやってもらいますからね。」

「絳攸、それは少し多すぎやしないかい。」

「これくらいでちょうど良いんだ、どうせ暇を見つけ抜け出そうとするんだからな!
むしろ貴様はこいつに甘すぎる。」

「そうかな? ・ ・ ・ ・まぁ、あの子犬のような瞳で見つめられると、断りづらくなる事は認めるが。
龍蓮があの性格だから揺り戻しが来ているのかな?」


   楸瑛も絳攸も酷いのだっ!うぅ〜〜〜っ、兄上ぇ、秀麗ぇ〜〜〜っ

休憩できる、後に待つ地獄、王としての威厳、それらの狭間で劉輝の心中は複雑だった。






盛暑を過ぎたとはいえ外で茶をするにはまだあまりに暑い季節、 執務室を一時片づけそこに楸瑛がいれた茶を置く。

「楸瑛、この菓子はどこから持ってきたのだ?」

劉輝は自分用に分けられた葛餅を見遣り、楸瑛を見遣った。

「食べてみれば分かりますよ。」

「 ・ ・ ・ま、まさか秀麗の!?」

「正解です、さっき府庫に寄った際に邵可様より頂いたんですよ。」

楸瑛がそう言うやいなや、劉輝はものすごい勢いで目の前の餅を口に含んだ。

「そんなに急いで食わなくても、横取りなどするか。」

「まぁ、それくらい飢えてたって事だろう。秀麗殿と静蘭に。」

「秀麗はともかく、何故静蘭なんだ?」

当然の疑問を口にした絳攸に意味ありげなに視線を流す。
絳攸がさらに口を開こうとした時、

「兄上ぇ〜〜〜〜〜っ!!」

当然劉輝が叫び、机に伏せた。心なしか、否、かなり目元が潤んでいる。
そんな劉輝を笑いをかみ殺した顔の楸瑛がのぞき込むような視線で揶揄した。

「そんなに嬉しかったんですか?」

「〜〜〜〜〜〜っ!うんっ!!感謝するぞ、楸瑛!」

「それは光栄です。ではその調子で、仕事の方もがんばってくださいね。」

最後まで抜かりのない男、藍楸瑛。
しかし今度劉輝から出されたのは、 まさしく威勢の良い犬の、もとい大きな子どもの喜びに満ちた返事だった。







執務室に戻った後の劉輝の働きぶりは凄かった、今までの駄目王を何処へ置いてきたのか。

「何時もこの調子でやっていれば、言うことないんだがな。」

「ほんとだね〜、しかしまさかこれほどまでの効果があるとは。」

仕事が終わり執務室を辞した二人は、茜色の空をゆっくりと眺めながら回廊を並んで歩いてゆく。

「おい常春、そろそろ教えろ。」

「何をだい?」

「あの餅でなんで静蘭の名が出てくるんだ、しかも主上のあの喜び様。」

「ああ、それね。あれは静蘭が作ったんだよ。」

「はぁ!? ・ ・ ・ ・ ・ 秀麗が作ったんじゃないのか。」

「う〜ん、正確には秀麗殿が静蘭に教えながら一緒に、だね。」

「?、なんでそんな面倒なことを、」

「それは私にも分からないけれど、なにか思い出があるんじゃないかな。」

「葛餅にか?」

「この日と葛餅と、清苑公子に。」

「なるほど、・ ・ ・ ・ ・ 優秀な家人も弟に対しては甘いわけだ。」

「ははは、そうだね。」

共に居ることができない兄弟。
側で支える事も、公では顔を上げることすら許されない。
決して踏み越えてはならない一線を、かの若き王は一歩手前ぎりぎりで耐えている。
無償で与えられるはずだった優しさに、どうしようもなく焦がれる時もあるのだろう。
それでも大好きな兄のために、 小さな王は必死で弱音を漏らそうとする口を自らの手で覆い、笑っているのだ。



「絳攸、」

ふと楸瑛は立ち止まり先を歩く親友の背中に声を掛けていた。

「・ ・ ・ ・なんだ。」

ぶっきらぼうに、それでも律儀に返される言葉に後押しされ、少し逡巡の後に口が開いた。

「一緒にいようね、」

「はぁ?」

瞠目する絳攸ににっこりと、楸瑛には珍しい心からの笑みを返して。

「明日も来年も何十年先も。共に年を重ねて同じ道を歩いて、」

「・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・」

「ずっと一緒にいよう?」

「・ ・ ・ ・〜〜〜っ常春!」




葛餅あるのか?、と微不安・・・・・・
後半部分が書きたかっただけです、楸瑛に言わせてみたかった!
親友(腐れ縁?) ≦ 双花 < 恋人、みたいな。
国試法改正の時期です、さり気なく紫兄弟を応援中!
鳳珠様話もいつか書いてみたいなぁ、悪夢の国試組ラブvv
っていうか今更夏のお題ぃ!?、と自分でツッコミ

date:2006/09/03   By 蔡岐





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