夏雲
蝉の声がようやく治まりをみせてきた頃、
「全く!・ ・ ・なんですかこの書類はっ。真面目にやって下さい。 「うっ、しかし余だって ・ ・ ・」 「なんか言ったか!?」 「なっ、何でもありません!」
そう言ってしゅんと頭を垂れる青年に王の威厳など皆無だった。 毎度の事ながら、
面白い、と楸瑛は抑えども込み上げてくる笑みを口の端に乗せた。 「絳攸、主上。良い茶菓子もありますし、そろそろ休憩にしましょうか。」 「楸瑛、」
眉間の皺をさらに深くした絳攸が「何を言っているんだ。」という目で此方を見る。 「このままの状態では何をやっても無駄だよ。適度に休息を取った方が効率がいい。」 「そっそうだぞ、絳攸!人間、息を抜く時は徹底的に抜いた方がよいのだ。」 「あんたの場合は抜き過ぎですっ!だいたい、まだ今日の仕事の半分も――――」 「まぁまぁ落ち着いて。それはまた主上が集中力を取り戻された後で 死に物狂いでやっていただければ良いだろう。」 「楸瑛ぃ、酷いぞっ!」
劉輝の言葉などばっさりと切り捨てて、楸瑛は絳攸を目に据える。 「はぁ、仕方ない。いいですか主上。適度な休息とやらが終わり次第、 残りの仕事に明日の分の書類もつけて、しっかりやってもらいますからね。」 「絳攸、それは少し多すぎやしないかい。」
「これくらいでちょうど良いんだ、どうせ暇を見つけ抜け出そうとするんだからな!
「そうかな? ・ ・ ・ ・まぁ、あの子犬のような瞳で見つめられると、断りづらくなる事は認めるが。
休憩できる、後に待つ地獄、王としての威厳、それらの狭間で劉輝の心中は複雑だった。
「楸瑛、この菓子はどこから持ってきたのだ?」 劉輝は自分用に分けられた葛餅を見遣り、楸瑛を見遣った。 「食べてみれば分かりますよ。」 「 ・ ・ ・ま、まさか秀麗の!?」 「正解です、さっき府庫に寄った際に邵可様より頂いたんですよ。」 楸瑛がそう言うやいなや、劉輝はものすごい勢いで目の前の餅を口に含んだ。 「そんなに急いで食わなくても、横取りなどするか。」 「まぁ、それくらい飢えてたって事だろう。秀麗殿と静蘭に。」 「秀麗はともかく、何故静蘭なんだ?」
当然の疑問を口にした絳攸に意味ありげなに視線を流す。 「兄上ぇ〜〜〜〜〜っ!!」
当然劉輝が叫び、机に伏せた。心なしか、否、かなり目元が潤んでいる。 「そんなに嬉しかったんですか?」 「〜〜〜〜〜〜っ!うんっ!!感謝するぞ、楸瑛!」 「それは光栄です。ではその調子で、仕事の方もがんばってくださいね。」
最後まで抜かりのない男、藍楸瑛。
「何時もこの調子でやっていれば、言うことないんだがな。」 「ほんとだね〜、しかしまさかこれほどまでの効果があるとは。」 仕事が終わり執務室を辞した二人は、茜色の空をゆっくりと眺めながら回廊を並んで歩いてゆく。 「おい常春、そろそろ教えろ。」 「何をだい?」 「あの餅でなんで静蘭の名が出てくるんだ、しかも主上のあの喜び様。」 「ああ、それね。あれは静蘭が作ったんだよ。」 「はぁ!? ・ ・ ・ ・ ・ 秀麗が作ったんじゃないのか。」 「う〜ん、正確には秀麗殿が静蘭に教えながら一緒に、だね。」 「?、なんでそんな面倒なことを、」 「それは私にも分からないけれど、なにか思い出があるんじゃないかな。」 「葛餅にか?」 「この日と葛餅と、清苑公子に。」 「なるほど、・ ・ ・ ・ ・ 優秀な家人も弟に対しては甘いわけだ。」 「ははは、そうだね。」
共に居ることができない兄弟。
ふと楸瑛は立ち止まり先を歩く親友の背中に声を掛けていた。 「・ ・ ・ ・なんだ。」 ぶっきらぼうに、それでも律儀に返される言葉に後押しされ、少し逡巡の後に口が開いた。 「一緒にいようね、」 「はぁ?」 瞠目する絳攸ににっこりと、楸瑛には珍しい心からの笑みを返して。 「明日も来年も何十年先も。共に年を重ねて同じ道を歩いて、」 「・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・」 「ずっと一緒にいよう?」 「・ ・ ・ ・〜〜〜っ常春!」
date:2006/09/03 By 蔡岐
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