"100のお題・063.暮れてしまう"の続編です

  まずは、そちらをお読み下さい






  ここで一回解散しようか



気づけば抱きしめていた。否、拘束していた、と言うべきか。
まぁ、どのような言い方をしても目の前にある事実は変わらないのだけれど。

私の腕の中には、絳攸がいる。











絳攸と最後にまともに顔を合わせたのは二週間ほど前。
それから私も彼も何かと忙しく、特に普段から全くと言っていいほど仕事をしない紅尚書に代わって 常人の2倍以上の仕事をこなす彼の忙しさは半端ではなく、主上の執務室にさえ何日も来ないほどだった。
私が文官から武官に転じた当初でもあるまいし、 主上付きになって以来、これほどまで顔を合わせなかったことは初めてではないだろうか。

一時は、もしかしたら某尚書の陰謀なのかも、とすら思ったほどに。

まぁ、かくいう私も、彼ほどではないにしろ、それなりに多忙な日々だったのでお互い様なのかもしれない。


だからこそ、残暑もほぼ治まり、大将軍達のはた迷惑な競い合いも一応の収集をみて。
あの懐かしい日常が戻ってくる事が、自分でも情けないながら本当に心から嬉しくて、 その事を同じくこの二週間汗水流して働いていたはずの絳攸と分かち合いたくて、 相も変わらず迷子になっているだろう彼を捜していたのだ。

ただそれだけだったはず、なのだけれど。






何故彼は泣いているのだろう、何故私は彼を抱きしめているのだろう

後者は比較的わかりやすい、と言うより分かり切っている。
問題は前の方の問い。

   え〜と、とりあえずは・ ・ ・ ・ ・


「絳攸。どうしたんだい?目に塵でも入った?」

有り得ないことだが一応は訊いてみるべきだろう。何せ彼は矜持の高い人間だから。
否、違う。これは私の願望か。
けれど絳攸はこの問いに答えてはくれなかった、ただ私の服の裾を握りしめるだけ。

「・ ・ ・ じゃあ、ひょっとして。」

私に会えなかったことが、そんなに辛かった?泣いてしまうほど?
自嘲気味にそう囁く、それは自分自身に言い聞かせるため。
――――ひょっとして、――――
本当にそうだ。
絳攸が黎深殿大事なのは今までの付き合いで嫌と言うほど解っている。憎らしいほどに。

   私も相当まいっているな、

でなければこんな馬鹿な問い、する訳がない。
案の定絳攸は少し身動ぎをした後、勢いよく私を突き飛ばした。
だが所詮は文官と武官。力で勝っているのは私で、体力があるのも私で ・ ・ ・。 彼に突き飛ばされようと書簡をぶつけられようと大して痛くはない。
だから、態と絳攸の癇に障る言葉と彼の羞恥心を利用して、 理性を飛ばしかけている私から離そうとしたのに ・ ・ ・。
どうしてか、私は再び絳攸を閉じこめている。

“来る者拒まず、去る者追わず”

それが私の信条で、今までもこれからもそうだと思っていたのだけれど。
どうやらそれは、こと目の前の人物に対してだけは例外であるらしい。

「離せっ!!」

「断る、・ ・ ・ ・ ・ ・どうして泣いていたんだい?」

拙い、と頭のどこかで警鐘が鳴っている。
これまでの、このままの居心地の良い関係。
それを望むならこれ以上踏み込んではいけない、そう私を諭す。
それでも、一人声もなく泣く彼に何も訊かず、知らなかったと見て見ぬ振りなど。

「っ――――― 貴様には、関係ないだろうっ!!!」

そう叫んだ絳攸の顔にはまた涙が溢れてきていて。
不謹慎だが、その常にない表情に、思わず身体の奥底の熱を感じた。

   ああ、そんな顔で見ないでくれ、

このままだと本当に拙い、特に最近は妓楼に行く暇もなかったから。

静蘭にあの恐ろしく清々しい笑顔で、『また一人後宮から女官が出ていったそうですね。』 などと言われた事も相俟って少し前から後宮には通っていなかった。
しかし悲しいかな、やはり私も健康な一成年男子。
いくら我慢してもそういう気分にはなる訳で ・ ・ ・ ・ ・ ・。
回数的には激減けれど、一応花街には通っていた。けれどここ最近は ――――――、

「関係ないとは非道いね、国試以来の親友にむかって。」

ほらあの時だって、会場から三〇歩の厠に行けず迷っていた君の手を引いてあげたというのに。
そう、出来る限りいつもの軽い口調で返す。

「・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・」

「ねぇ絳攸。一人で考えていたって答えが出せない事柄だってあるんだよ。 その為に私が側にいるんだろう?」

それが、自らの首を絞めることであったとしても。




じりじりと喉が渇く、沈黙がこれほどまでに神経を磨り減らすとは。

「 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 最近、」

口火を切ったのは絳攸だった。

「最近、後宮に通っていないらしいな。」

感情の見えない静かな声。

「えっ?あぁ、うん。」

心の準備をしていた身にとってはあまりにも唐突な、予想外の問いに口籠もってしまった。
取り敢えず当たり障りのない、と思われる返事を返す。

「このところ忙しかったからね。花街にも行っていないよ。」

真実は別の処にあるのだが、普段の戯れ時ならいざ知らず、 本人を目の前にして打ち明けるには今はあまりに状況が悪い。 しかし、・ ・ ・ ・ ・ ・ ・。

「それがどうかしたのかい?」

頻繁に出入りしてなら分かるが、その様な場へ行っていない身で訊かれるその真意は何だ。
しかもそれがどう絳攸の涙に繋がるのか。
女官長の苦情、主上の愚痴、捗らない政務、・ ・ ・ ・ どれも違う気がする。
というか、はっきり言って絳攸がその程度で此処まで感情を乱すはずがない。

   私が言える立場ではないんだけどね、

鬱々とそんな事を考えていた中、ピクリと震えが伝わってきて、腕の中の存在に意識を集中する。

「来週は、・ ・ ・ ・ ・ ・ ・?」

「藍家の至要があるけれど、何故それを」

知っているんだ、というのはどうにか飲み込む。 藍家の至要、その単語に絳攸が身を固くしたから。
変化を感じ取ると同時に、自分でも驚くほど滑らかに言葉を紡いでいた。

「来週、懇意にしている取引先との会合があるんだ。まぁ、会合とは名ばかりの酒宴なんだけれど。 例年なら藍州で催されるんだが、今年は貴陽でって事になってしまってね。――――」

何故こんな私事を語っているのか、けれど言わなければならない気がしたのだ。
武人の感か、はたまた絳攸との付き合いの長さがそうさせるのか。

「そしたら貴陽まで来るのが面倒なのか、兄達から名代として出席しろと文が来てね。
向こうも自分の娘を紹介できると踏んだのか嫌に乗り気で、・ ・ ・ 断り切れなくて。」

それまで黙っていた絳攸がふと身動ぐ。

「っ・ ・ ・ ・ ・ ・誰も、そんな事訊いてない。」

「そうだね、けれど何故か言いたくなったんだ。まぁ元々、強引に押しつけられた役目だし、」

少し君に愚痴りたくなったのかな?、溜息混じりに呟く。
すると、腕の中から絳攸の声が聞こえてきた。その事に安堵しそうになって、止まる。

「だが、仮にも藍家名代を招待するんだ。酒も女も上等なものだろうに。」

「無理矢理行かせられる身じゃ、さして意味もないね。」

「無理矢理?久々に女に囲まれて酒が飲めるんだ、良いことだろう?」

冷めた、嘲るような声音が府庫に響いた。
冷水を浴びせられたように思考が急激に冷えていく。

「頬まで脂ぎって、にたにた笑う男と顔突き合わせて、酌み交わす酒なんて御免だよ。」

「お前の言う‘花’に慰めてもらえばいいだろう?」

「へぇ、君も言うようになったね。女性嫌いが直ったのかい?」

「はっ!お前と一緒にするな。花街に通っていなかった分、其処で楽しんで来たらどうだ。」

冷たいはずなのに、腑は異常なほど熱を帯びている。

「絳攸、君にしては随分下世話なことを言う。溜まってるの?」

「っ・ ・ ・!!常に俗な噂をまき散らしてる貴様と一緒にするなっ!お前こそどうなんだっ。」

「そうだねぇ、結構我慢してたからね。」

「ならいっその事、この気にその家の娘と懇ろにしておいたらどうだ?
顔良し家柄良し、藍家とも親しいなら何の問題もないだろう。」

その言葉に、ついに自分の中の糸が切れた。
抱き込んでいた肩を掴み、そのままの勢いで机に押しつける。
絳攸は痛みで眉を顰め必死で抵抗してくるが、その程度で揺らぐほど羽林軍の鍛錬は甘くない。
馬乗りになって動きを封じ、横に反らされた顔を容赦なく此方へ向ける。

「ねぇ絳攸、」

殊更に優しい声音で呼べば、彼はびくりと肩を揺らした。

「本気で、言ってるの?」




date:2006/08/30  by 蔡岐

宿花 , "ここで一回解散しようか" …「何でもありな100のお題」より 】