紫苑の髪が 春風のなか、翻る。 人混みの中でも決して紛れる事のないその色を持った幼馴染み兼恋人に、俺は目を細めた。 背を向け駆けてゆく姿が、くるりと反転して、そして――――。 in one's true colors 「将臣くーんっ!」 まだ4月だというのに照りつけてくる熱い日差し。 その向こうから手を振る望美に、同じように振り返しながらゆっくりと歩く。 「速ぇよ、待てって」 「将臣君が遅いんだよ。せっかく早く来たのに、並ばないとまた待つ事になるよっ」 「そうは言ってもなぁー、…ったく熱いんだよ」 「もー、速くー!」 「へーへー」 急かす望美に適当に相づちを打って、ようやく並んで歩きだす。 俺の腕を引っ張る幼馴染みは、目をキラキラさせて今日の初夏並みの気温に少し汗をかきながら、 次のアトラクションに気分を高揚させている。 なんだかなぁー。 そんなに嬉しいもんかね…。 朝からハイテンションな連れとは違い、幾分醒めた感情を抱いた。 大学生の春休み。 幸か不幸か、別れてしまったお互いの進路のせいで別の大学に進み住む場所も離れちまった俺達は、…まぁ、 怪我の功名っつーかなんて言うか…大学1年の夏にようやく幼馴染みを卒業した。 幸か不幸か…。 俺は、間違いなく幸福だったと思ってる。 望美は高3年の秋にその事実を知って、終始浮かない表情をしてたが、 それも合わせて俺にとっちゃあ幸いだったし、…嬉しかった。 あれから1年。 既に言う事は言って、やる事はやっている間柄だ。 …って言うと、望美は顔を真っ赤にして耳元で怒鳴るんだろうが。 で。あれだ。 大学2年生になるんだし、勉強もサークル活動も1年の時よか忙しくなるだろうし、しかも普段そこそこ遠い場所に住んでいる俺達だ。 1年間頑張ったプレゼント頂戴!と、望美が帰省中だった俺の部屋に殴り込んできて言ったセリフが始まりだった。 『だって。…最後にデートしたの、1月だよ。2ヶ月も、将臣君の顔見てなかったよ』 そう言われて、涙目で上目遣いに訴えられてしまえば、心底俺は弱かった。 っつーか、負け決定。 その場に譲でも居ようものなら、死亡フラグだ。…まあ、居なかったが。 そんなわけで、春休みの後半に大阪、そしてUSJに泊まりがけで来てみた、…のは良いものの。 「で、どこ行くんだよ」 「ええっ。もー将臣君、全然聞いてなかったんだね」 「聞こえなかったんだよ、お前先先行っちまったじゃねぇか」 腕を組み俺を引きずりながら、望美は振り返ってむぅっと口を膨らませる。 その軽く頬を突っつけば、「もうっ」と照れたように怒るから、俺は湧き上がる笑いを止めることなく表に出す。 望美は、俺の笑みを「気にくわないです!」と睨んでくる。 それに余裕で笑い返す。 望美は、はぁっと諦めたように溜息をはいて、それから気を取り直したようにハイテンションで言った。 「イーティーです!」 ……はぁ!? イーティーって、ETか。 「名前を読んでもらえるんだよ」 「……」 「将臣君?」 悪いな望美。 何でお前がそんなに熱心になってるのかさっぱり分かんねぇよ。 望美の旋毛を見下ろしながら、俺は惰性で足を動かした。 ETは意外に空いていた。…らしい。 どこがだよ!待ち時間1時間だぞ!?と満員電車よろしく密集した人混みに驚き、叫んだが、 「USJはどこもこれくらいだよ」と望美にはすげなく扱われてしまった。 ちくしょう…覚えてろよ、望美。 つか、お前だってここ始めてくるだろうが。どっから仕入れた情報だよ。 準備よくお茶と菓子を買ってきていた望美に分けて貰いながら、ちまちまと進む列についていく。 …怠い。 適当に外出する事に抵抗はないが、待つのは苦手なのだ。 春休みなんて友達同士や家族連れで賑わっていないはずがない。 それでも了承したのは、望美が楽しみにしていたからで。 …ついでに、俺も久々すぎる泊まりのデートに浮かれてたからだ。 果てしなく長く思えた待ち列もようやく入り口が見えて、係員が動いている様が分かるようになった。 たぶん、次の次くらいには入れるだろう。 「ふぅーようやくだな、…望美?」 「え?」 「どした?」 望美は近くの柱にもたれ掛かりながら、じっと何か考えているようだった。 難しい顔をして、時々小さく唸る様子は、端から見れば長い待ち時間に苛々しているようだが、…これは、この表情は違う。 「何?将臣君」 「いや…眉間に皺寄せるなよ、跡つくぞ」 「えっ!嘘!」 「嘘じゃねぇよ。すげぇ形相だったぞ」 「そんなに変な顔してた?」 うーん、と良いながら眉間をさする望美に微笑んで、額を小突く。 望美は叱られた犬みたいにしゅんと落ち込んだ目で俺を見てくるから、思わずわしゃわしゃと頭を撫でた。 「あっ、ちょっと!ぼさぼさになっちゃうよ!」 「ははっ、悪ぃわりぃ」 「もうっ!将臣君ってば」 呆れたように、でも嬉しそうに言う望美にそっと心中で安堵して、「で?」と背を屈めて顔を覗き込んだ。 「え?」 「どうしたんだよ。何かあったか?」 「あっ、…ううん!何でもないのっ」 嘘付け。と、するりと喉から出そうになった言葉を慌てて止める。 無理矢理にこにこと笑顔であろうとするこいつなんて見たくない。 俺は、望美の心からの顔が好きなんだ。 それが幸せなものなら…、と。 ずっと願い続けていて、それを守るためなら何だってしてやると誓っているのだから。 俺達は一度徹底的に離れた。 こことは違う別の世界に流されて、年齢が違って、身を置く場所も立場も違えてしまった。 平家を救おうと駆けずり回った事、怨霊を使った事。後悔はしていない。 だが、大事な幼馴染みをずっと守ってやれないどころか、俺の決断が望美を戦場に導いたかと考えると、 苦しくて腹が煮えくりかえった。 あんな思いは、もう二度とごめんだ。 「本当か?」 「え」 「なぁ、…どうなんだよ」 「ま、将臣君!?」 不自然に固まる望美の頬にそっと指を這わせる。 屈んだまま顔を近づける。 もう少しでお互いの鼻がくっつくか、という距離で望美が降参した。 「うっ、わ、わかった!言う、言います!」 「良し」 「う。えーっと、でも本当に何でもないんだよ?ちょっと恥ずかしいなって、思っただけで…」 「はあ?」 さあ吐け、と待つが、聞こえてくるのは言い訳なのか何なのか、全く要領を得ない。 もじもじと言いにくそうしている姿を見ると、意地でも口を割らせたくなるのが、 オムツ着用時から付き合ってきた幼馴染みの心境ってもんだろう。 っつーわけで。 「全然要領えねぇなぁ、望美ちゃん?」 「ぐっ。…将臣君楽しんでるでしょ」 「当たり」 「酷いよ!」 「悪い悪い。で?マジで何に悩んでんだよ?」 「それは…」 なかなか口を割らない望美ににやにやと笑んでいる間に、どうやら順番が来たらしい。 …と。 あれだけ楽しみにしてたくせに、入り口に向かう望美の足取りは重い。 「望美?」 「何でもないよ、うん。もうすぐ、…分かるかな」 ぎこちなく笑って、俺の後ろに並ぶ。 振り返ろうとするとぐいっと背を押されて、望美の顔は見れなかった。 前の人が一列になって、名前入力をする係員が一人一人にカードを手渡し、説明していた。 俺達の番になる。 「お名前は」 「有川将臣」 答えると、カタカタッとキーを打ち、2枚カードを渡された。 「はい、では2枚をお持ちになり進んでください。こちらは終了時に返却して下さい、もう一枚はお持ち帰りいただいて大丈夫です」 「わかりました。…って、望美、押すな」 ぐいぐい、さっさと行けと言わんばかりに結構な力が加えられている。 「では、次の方お名前を――」と言われ、望美はそっと何かを囁いていた。 少し離れている俺は聞こえない。 同じようにカードをもらって、早足で近づいてきた望美の顔は紅かった。 「おい、望美?」 「あ、っと。さ、行こうか?将臣君」 薄暗い中でもわかる。 明らかに紅潮した頬を片手で隠しながら、望美は恥ずかしそうに俺に先を促す。 腑に落ちない。 が、望美の表情は先ほどのそれと違って暗くはない。 だから問いただすのは諦めて、ゆっくりと列の最後尾から暗い通路を歩いていった。 無事(っつう表現が正しいのかは置いておくとして)ETアドベンチャーも終わり、結構な人数がパレードに向かった中、 俺達は建物の間に移動した。 疎ら、というにはまだ人は多いが、それでも順番待ちよりかは、どこもかしこも格段に空いている。 「…どう、将臣君、やっぱり驚いた?」 「……ああ、」 「そうだよね…」 紅かった顔を一瞬で蒼くするという早業を見せて、望美は俯いた。 さて、どうしたもんかなぁ。 項をかきながら、じっと望美の旋毛を凝視する。 平静を装おうとわざとしかめっ面をしたのがいけなかったか。 …だが、無理にでも表情を引き締めないと、俺の頬は際限なく弛んでいきそうだった。 にやり、と口を歪めて、望美の頭をぐりぐりと撫で回す。 「のーぞーみっ」 「うわっ、何!?将臣君、痛いよ」 そのまま、「髪が絡まるー」、と大声を出す望美の頭を抱え込む。 ピシッと固まった様子にさらに笑みを深めて、仄かに紅い耳たぶすれすれ唇を寄せた。 「ま、まさおみくんっ」 「いつから考えてたんだ?」 「……友達が、彼氏と一緒に変な名前で登録したって。…だから、いいかな、って」 「それでか」 「将臣君は、…嫌だった?」 「な訳ねぇだろ」 湿っぽい、半泣きの声を上げた望美に、今度はゆっくり優しく、を心がけて髪を撫でてやる。 あれは、確かにやばかった。 あの宇宙人が辿々しく『ありかわのぞみ』と望美の名を呼んだ時は、マジで一瞬フリーズして、驚きに任せて後ろを振り返っちまった。 熟れた林檎色に頬を染めながら、うっすらと笑っていた望美に、場所に構わず抱きしめそうになる自分を、 どれだけ強靱な理性で耐えたことか…。 絶対分かってねぇんだろうなぁ。 まあ、俺も意地を張って、知らぬ振りを通しちまったのが悪いんだろうが。 「ほんとに?」 「じゃあ、お前。俺が『春日将臣』って呼ばれたらどうだよ」 「……ちょっと嬉しい、かな?」 「ちょっとかよ」 しかも疑問形かよ。 残念そうな顔をした俺に、望美は慌てて弁解する。 「違うのっ。嬉しくないんじゃなくてね!あのね、私が有川って呼ばれたいっていうか」 「へぇー」 「あ」 傷ついた風に装っていた表情を外して、にんやりと笑んだ俺に、望美は墓穴を掘った事に気づいたらしい。 「あはは…」と俺の様子を窺いながら、から笑いをしている。 逃がさない、とばかりに望美の髪を撫でていた手を後頭部に回し、固定する。 身体をさらに密着させて、再び紅くなり出した望美の耳の後ろ側に唇を這わせた。 「ま、将臣君!」 叫ぶ望美に構わず、ちゅっ、とわざと音をたてて、耳にも軽く口づける。 「ここっ、外だよ!将臣君!」 「大丈夫だよ、他人の事なんて誰も気にしてねぇって」 「嘘っ、思いっきり見られてるよ!」 「じゃあ、見せつけてやりゃあいいだろ」 望美の頭を覆っていた手を外し、最後に、前髪をアップにしている額にキスをして離れた。 本当は口にしたかったが、それじゃあ俺の理性が持たない気がした。 「……ばか」 「はは、両方な」 上目遣いに睨んでくる望美に笑い返して、さっきより格段に照りつける太陽を見上げ目を細めた。 照れてぶっきらぼうになる望美はかわいいが、今は目の毒だ。 さて、まだ1日は始まったばかりなんだよな。 「次、どうすんだ?」 「決まってるよ!乗って乗って乗りまくるの!全部付き合ってもらうからねっ」 「オーケー、じゃあ行くか」 「うん!」 嬉しそうに返事をして、また俺の手を引っ張っていく望美に苦笑する。 けど、気分は始めよりかなり上昇している。 ま、いいか。 久々のデートだしな。 そう考える自分にさらに苦笑して、相変わらず急かす彼女のたなびく紫苑の髪に手を伸ばした。 |