かつて 変わるなと願ったことだった 遠い昔から 変えようと望んできたことだった 逃げられない終焉の鐘が響く 「ん〜、おいしー」 俺と望美の目の前には、ミスタードーナツの箱。 バイト帰りに安売りを見かけて、俺がかって帰ってきた物のはずだ。 最初にふたを開けたのは望美だが。 「…んなに急がねぇでも、取ったりしないだろ」 最初からお前のために買ってきたんだよ、などとは絶対に言わない。 なにやら恥ずかしいし、それに幼馴染みのことだ、言わなくてもきっと分かっている。 俺が甘い物を買い込むのは、大概が家に来る望美のため。 「うっ……まあそうだけど」 「だろ?」 机を挟んで向かい側で望美が小さく唇を尖らせる。 心なしか眉間にも力が入っていて、難しそうに思案している。 幼馴染みの見慣れた表情に、思わず小さな笑みと溜息が出る。 (こいつのこんな顔、いつ以来だ?) 「眉間に皺寄ってんぞー」 「ええっ」 後付くぞ、と人差し指で望美の眉間を軽く突く。 焦った声を上げた幼馴染みに笑ってさらなるちょっかいをかける。 いつから、だなんて思い出せないほど幼い頃からの俺達の習慣で、 そのやりとりに空白期間ができるなんて、あの世界へ行くまで考えたこともなかった。 「もうっ、皺になっちゃったら絶対将臣君のせいだよっ」 理不尽なことを叫びだした望美を見る。 ぷうっと頬をふくらませ俺を睨み上げている。 本人精一杯怒った表情を作ろうとしているんだが、 はっきり言って男の理性をかき乱そうとしているようにしか見えない。 (ま、鈍いからな) そんなことには、きっと一生気づきそうにないが。 というか、絶対に気づかせてやらない。 「なんでだよ」 「だって、変なこと言うんだもん!」 「ほんとのことだろうが。俺が指摘してやるから、今まで無事だったんだろ?」 トントンと自分の眉間をたたく。 望美はますます頬をふくらませ黙り込む。 その頬は白桃色に染まり、あの時代を龍神の神子として奔走していたとは思えない。 (突っついたら怒るだろうな……) 是非とも試してみたいが、そんなことをしたら本当にへそを曲げてしまう。 望美のご機嫌取りを厭ったりしないが、しばらくはこいつが笑っているのをずっと見ていたい。 「将臣君の意地悪……」 「何言ってんだよ、この上なく親切だろ?」 望美のふくれっ面を覗き込む。 机にもたれかかり顎をつけるように前屈みになると、向こう側の望美の表情がよく見える。 意識しないうちに腕が伸びる、そのまま望美の頬にゆっくりと指をはわせた。 「え、将臣君…?」 驚いたのかしかめ面を解いた望美が小首を傾げる。 答えず、さらに耳の後ろに指を差し込む。 さわり、と耳朶の縁を撫でると、望美がぴくりと僅かに震えた。 「ま、まさおみ君……どうしたの?」 慌てて、少し頬の色を濃く染めて、望美が俺と目を合わせずに訊いてくる。 その様子に内心しまったと思う。 けれど、一度動き出した感情は止まらず、もっともっとと求める。 「ん、……どうもしねぇけど」 「でも、」 「お前こそどうしたんだよ、……ほら」 こっち向け、と耳の後ろの辺りに触れていた手で、望美の顎をそっと正面に戻す。 さした抵抗もなく元通りこちらを向いた望美は、それでも俺とは視線を合わせようとしない。 その反応を望んでいた俺は三年以上前に既にいない、今の俺はそれだけじゃあもう満足できない。 沸き上がる感情は、じりじりと俺の芯を焦がしてきた。 三年半と、そして今までずっと。 顎を掴む手で、一瞬喉を撫でる。 「……っ!!」 息をのむと同時に、ばっと望美が俺を見上げた。 瞳は明らかに潤んでいて、何か言いたげに、けれど言葉が見つからないのか口を閉ざしたまま、 じっと俺を見つめる。 (おいおい、) 思わず天を仰ぎたくなった。 仮にも男の部屋で、とか、もうちょっと危機感を持て、とか。 言いたいことは山ほどあるが、どれも口には出さない。 この事態を作ったのはまちがいなく俺、望んだのも俺。 あっちの世界での事情も、こちらでの八葉としての役目も何もかも終わった今だから、 俺にとって望美はもう幼馴染みではすませないし、 幼馴染みという特殊性で気持ちを覆い隠すなんてこともできない。 「なぁ、望美」 出来る限り穏やかな声で呼ぶ。 これ以上動揺して強張った顔は、正直勘弁だ。 「お前にとって、俺は何だ?」 「……え、と」 あからさまに視線を彷徨わせる望美に思わず苦笑する。 慌てぶりが見ていて可哀想にもなってくるが、ここで追撃の手を緩めるわけにはいかない。 「なあ?」 「まさ、おみ君は……」 幼馴染み、とくるのか、それとも別の何かか。 興味はあったけど聞く必要はなかった。 どのみちもう後戻りはできないし、するつもりもない。 何より、こういう事を女に、特に望美に、先に言われるのは俺の矜持が許さない。 「望美」 静かな声で話しかける。 俺の雰囲気に何かを感じ取ったのか、望美が口をつぐむ。 (望美、俺達は変わろうとしてるんじゃない。 もう、とっくに変わっちまったんだよ、お互い。でなけりゃ……) 「お前を、こんなに愛しいと思ったりしない」 「え?」 呟いた言葉は、望美にはよく聞き取れなかったらしい。 何?と、首を傾げる仕草にさえ心が揺れる。 不安そうに揺らめく望美の瞳を覗き込んで、ゆっくり含めるように言葉を紡ぐ。 「俺はお前が好きだ、向こうでの三年半で思い知ったんだよ」 「……」 ひくりと望美の喉が震えた。 口を開こうとするのを制して、続ける。 「だから、もう離したくないし離せない。……望美、お前の全部、俺にくれないか?」 俺の手のひらの中で震える望美を感じ、望美の見開いた目を見つめる。 俺の喉の奥がとくり、と鳴った。 |