海はどんな時でも 変わらず うち寄せては還ってゆく
空はいつの時代も 相変わらず 高く広く在り続ける
永遠の青空と海が、忘れるなと贖いをと、ボクを責めたてる。
昨日も暑かった、一昨日も暑かった。
今日も、暑い。
きっと明日も明後日も、この肌を焼くような熱は収まらないだろう。
誰もいない浜辺近くの木陰に座り、望美は悶々と考え続けていた。
そんなことを考えている自分が、自ら暇人だと認めているようでかなり癪だったりもする。
……事実は変えようもなく暇、なんだけど。
「あー、暇だなぁ。何かすることないかな」
一人で愚痴ってみたところでしょうがない。
この島に娯楽なんて数えるほどもないし、それ以前にそんなことをしている暇も、
望美以外の人間にはまずないから。
つまり時間を持て余しているのは、結局自分一人なわけで。
「将臣君の意地悪ー!」
望美の(選んだ)仕事をことごとく却下し、半強制的に職場から追い出した張本人に叫んでみる。
そんなことをしても意味ないって分かってるけど…
無意味なことでも暇な時はやってみなくてはいけない、と思う。
だが、結局残ったのは虚しさだけ。
「暇、だなぁ」
本当は分かってる。
将臣君が私に気を遣ってくれたって事くらい。
平家の人たちと一緒にこの島(たぶん沖縄あたり)に来て、もう4ヶ月が経った。
みんなの努力で、無人島だったこの場所もだんだんと人が住めるようになってきて、
私もだんだんに仲良くなってきた女の人たちと喜び合った。
それと同時に男衆の無駄のない動きに、驚いた。
京を落ちてから各所を渡りあるいたと言っても、元は都で大勢の人に傅かれていた貴族なのに…
将臣君達の指示の元、てきぱきと動く彼らは。
まるで最初から大工や漁師をしていたように見えて、酷くとまどった。
自然と唇を噛みしめる。
平家の人たちの頑張りを思うと、いつも胸が締め付けられる。
自分が白龍の神子としてした事が、間違っていたとは思わない。
絶対に後悔しちゃいけないってことも、わかる。
……でも。
「はぁー、」
馬鹿だな、私。
戦争を終わらせたかった、大切な人たちを守りたかった。
その一心で何度も運命を変えた、逆鱗を使って何度も時空を越えた。
それでも、手のひらから滑り落ちてしまった人達の方が圧倒的に多くて。
平家の兵士達もその中に含まれている。
将臣君は優しい。
今もきっと不満や苦情が出ているだろうに、私にはちらりとも見せない。
それが、余計に辛い。
「将臣君の、馬鹿」
伸ばしていた足をたてて、顔を埋める。
明るい空と海を見ていられなかった、今の自分にこの島は眩しすぎる。
潮騒が遠くから聞こえる、どうせなら耳も塞いでしまいたかった。
知ってるのに、私だってそれぐらい分かってるのに。
ほんの半年前は敵だった人間を受け入れるなんて、簡単な事じゃない。
不満も恨みも全部承知の上で、それでももう将臣君と離れたくなくて、船に乗り込んだ。
だからそれなりに覚悟していたし、うち解けるための努力もした。
なにより同行することを決めたのは私なんだから、反感を受けるのは私であるはずなのに。
「馬鹿ぁ…」
なんで、なんで何も言ってくれないの。
私のことだよ、将臣君が責任負うことじゃないよ。
これじゃあ、なんのためにここにいるのか分からないじゃない。
涙声が恨めしい。
思いっきり鼻をすすって、さらに額を膝頭に押しつける。
「だーれが馬鹿だって」
「……え」
後ろから聞こえた声に一瞬脳が反応しなくて、我ながら間抜けな声がでた。
次に勢いよく頭を上げ、ぐりんと背後の樹を振り返る。
そこには、やっぱりというか、頭で思い描いたのと同じ人が立っていた。
急に視界が明るくなったせいか、少し目が痛い。
悠然と腕を組み妙に目を細めてこちらを見る長身男は、ものすごい威圧感が漂っている。
「あ、えーと、将臣君?」
「……お前には、俺以外のやつに見えるのかよ」
ほんの冗談のつもりなのに。
どうやら今の彼にはかわいらしい芸当は通じないらしい。
どうしたらいいのか分からず、とりあえずへらっと笑ってみる。
その瞬間、盛大な溜息をはかれた。
「ちょ、酷いよ将臣君」
「うるせー」
抗議も一蹴されて終わる。
むっとして睨むと呆れたように首を振り、将臣君は私の隣に腰を下ろした。
そのままいつにない不機嫌顔でこっちをじぃーーと見てくる。
「な、何?どうかしたの将臣君」
「どうかしたのはお前だろ」
「え?」
訳が分からず見つめ返すと、将臣君の逞しい腕がこちらに伸びてくる。
日に焼けた腕、毎日炎天下の中、汗を流す体。
3年間余りの日々が変えてしまったもの、こちらに来る前には持っていなかった。
「なんで泣いてんだよ…」
「え」
荒々しい言葉とはちがい、頬に目尻に触れる指はどこまでも優しい。
うん、やっぱり将臣君は優しい。
そして残酷だ。
ほら、また視界がぼやけてきた。
「望美?」
将臣君が厳しい表情を解き、困ったようにこちらを覗き込む。
強すぎる光を遮るように、将臣君は私と海との間を隔てる壁になっている。
暗くてよく見えない表情の中に、逡巡を感じとって、また苦しくなる。
精一杯笑って見せた。
「将臣君の、意地悪」
「なんだよ、俺のせいってか?」
わざとお茶らけて言う言葉に深く頷く、相対する将臣君の表情が一瞬強張る。
頬に触れる大きな手、厚い手のひらは私の涙で濡れている。
これ以上涙顔でを見られたくなくて、もう将臣君を見ていられなくて、その懐に飛び込んだ。
背に回す腕にありったけの力を込める、もう二度と離れないように。
離さないでいいように、その願いの叶うことを祈る。
「望美」
「……馬鹿」
ばかばかばかばかばか…
延々言い続けると、上からの溜息が耳にかかった。
くしゃりと髪をかき混ぜる手のひらは強さを増し、そこから伝わる熱も激しさを増す。
将臣君にも理解ったんだ……
引いてくれない涙を我慢しながらそう思う。
大雑把でいじめっ子な将臣君、でも生まれてから今まで望美の機微に一番聡く、
3年のブランクはあれど一番そばにいたのは、悔しいことにこの人だ。
「うっ……ふぇっ」
「あー、泣くな分かったから」
嘘だ全然分かってない、そう言いたかった。
原因に気づいても、きっと改善しようとはしない。
将臣君が私の感情に聡いように、私だって将臣君の性格や行動をある程度は予測できる。
それが、幼馴染みの長所であり、最大の短所だと思う。
「嘘、ばっ…かりっ」
将臣君は黙って私の背中を抱く腕を強める。
ほら、何も言えないでしょう?
沈黙が将臣君の葛藤を雄弁に教えてくれる。
その苦しさから解き放ってあげたいと思うのに、残酷にもそれだけがいつもうまくいかない。
何度も何度も運命を上書きして、みんなを救いたいと願った。
けれど、その願いの最大の障害はいつでも将臣君で。
還内府として将臣君は平家の人々の安寧を願った、源氏の神子の願いとそれは相容れない。
平家の大将と八葉の一人、
こちらでの恩人と元の世界で繋がっていた私と譲君。
二つの間での板挟み状態が解けたと思ったのに……
いつの間にやら、涙は完全に引いていた。
ぽっかりと胸の真ん中に穴が開いたみたいな感じがする。
叫び出したくなるほどの寂しさに、ほんの少しの安堵が混じる。
「望美、俺は」
「言わなくていいよ」
将臣君の内に、これ以上立ち入っちゃいけない。
そしてこれ以上聞きたくなかったから、声を被せるように口を開く。
「ちょ、待てよ望美――」
「ううん、待たない。それ以上言わなくていい」
将臣君は強情だから、私が何を言っても折れたりしない。
たとえそれが私のことでも……
だったらもう、いいんじゃないかなって、そう割り切ることにしよう。
一度目を閉じて、再び目を開けると同時に将臣君の胸を突く。
あっけないほど簡単に離れたお互いの距離に、また緩んできそうになる涙腺を叱咤し、
勢いをつけて立ち上がった。
「駄目でしょ、将臣君。仕事ほっぽり出してぶらぶらしてちゃ!」
「は?」
私が見下ろす先で、将臣君の目が点になる。
それがなんだか無性におかしかった。
口元を押さえて笑いを押し込める、さすがに今ここで笑っちゃまずい。
「望美、お前」
言いかけた将臣君を視線で黙らせる。
上から目線だから威力アップでさらにお得だ。
木の葉から漏れる日差しが眩しいのか、将臣君が手を翳して目を細めた。
「私の仕事とったの将臣君なんだからねっ、二人分きりきり働かなきゃ」
軽い調子で言いながら、仏頂面に笑いかける。
本心ならいくら将臣君でも、それ以上探ることは出来ない。
「ちっ…分かったよ行きゃいいんだろ」
「もー舌打ちしない!」
手を伸ばして、立ち上がるのを助けた。
「ん?ちょっと将臣君、手痛いって…!」
握られたままの手をぐいっと引かれ、倒れ込んだのはさっきと同じ胸の中。
「将臣君!?」
「望美」
耳元で囁かれて、思わずふるりと背に電気が走った。
震えた私にかまわず将臣君は腕に力をこめる。
「ちょ、将臣君。痛い痛いっ」
肩を叩いて抗議してみるも効果はなし。
ちょっと無視!?
それは酷いんじゃないでしょうか。
すると、将臣君が再び頬に唇を寄せてきたので慌てて身構える。
「これで終わりだと思うなよ」
「うぇ?」
あまりにも真剣でせっぱ詰まったような声色に、本日二度目の間抜けな声が出る。
その瞬間、首筋に痛みが走った。
同時に離れてゆく将臣君の頭、そのまま体も解放してもらえた。
「…今の、何」
戻った視線に見上げながら本人に聞くと、にやりと笑い返された。
「え、ほんとに何?教えてよ将臣君っ」
「あーそのうちわかるさ」
にやにやとこちらを見下ろしてから、背を向け将臣君は歩き出す。
将臣君の姿はすぐ光に覆い尽くされ見えなくなった。
「今聞いてるのー!」
あいかわらず潮騒が耳をつく浜辺で、私の声は憎らしいほどの青空に吸い込まれていった。
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