*





    白鳥座


「あっ!」

本日何度目かの叫声に、平次は口を突いて出そうになる皮肉をどうにか堪えるのに忙しかった。
隣の少女は相変わらず首を大きく反らして天を見上げている。

(あ〜あ、そないして。後で首痛なっても知らんぞ。)

頭で適当なツッコミを入れながら決して口には出さない。否、出せない。
今のムードをぶち壊して静華に説教を食らうとか、平蔵にあの狐目でじとっと見られるのが嫌とか、 そういう問題ではない。
高校生名探偵として名を馳せる彼を悩ませている課題は至ってシンプルで、 しかし男としての悲しい性というか、役得というか、そういう類の事であった。

「また!また、流れたよ!なぁ、平次。」

「 ・ ・ ・ そやな、」

「もうっ、なんやの。その 気のない返事!」

プクッと頬を膨らませて再び空を見上げてしまった和葉に気づかれないように嘆息した。
例えば、淡い月光に常より遥かに薄く透きとおった白い肌とか、寒い外気に桃色に染めた頬とか。 そういった物の一切を全て、 惜しげもなく自由に眺める事の出来る位置にいる、という事は幸せなのか不幸なのか。
世の男が聞いたら、間違いなく諸手を上げて悔しがるだろう状況なのに、 嬉しさよりも情けなさや憤りを先に感じてしまうのは、ずばり全て彼女を取り巻く環境のせいだろう。

(だいたい、なんで俺がこいつと一緒に、空なんぞ見上げなあかんねや、阿呆らしい。)

何度目の愚痴か、数えるのもあほらしくなるくらい何度も何度も繰り返して。
それでもこの小一時間、そんな言葉も態度(こちらは少し微妙だが)も表に出さないのは。 結局は、この実にアホらしい事を笑顔で強要してきた服部家の掟と『同じ穴の狢』だからなのか。

「うわっ!すごいすごい、なぁ見て平次!一気に数が多なってるっ!」

かなり興奮してきている隣の御仁をちらりと見遣って、そして空に目線を上げて。
確かに、確かに綺麗で、本当に和葉がはしゃぎたくなる気持ちも十分に分かるのだが、 それでも当面の死活問題はやはり別にあって。
その時 ――――――。

「はぁー、綺麗やわぁ。なあ?」

なんて、和葉が言って。
うっとりと心まで奪われたような顔で此方を見るもんだから、 思わず今まですっきりと片づけていた物が漏れ出てしまった。

「アホ、お前の方が ――――― 。」

「えっ?」

(なっ!やばっ、)

天上の演舞に気を取られて、聞いていないと思っていたのに。
眉間に少し皺を刻み、ゆっくりと顔を寄せてくる彼女は、 全くもう本当にこれっぽっちも自分の魅力に気づいていない。

「平次、なんて?」

「な、何でもあらへん!」

「嘘っ、絶対なんか言うたやろっ!」

「独り言じゃ、ひ・と・り・ご・と!ほら、よう見とかんと、終わってまうで!」

何とか気を逸らそうと、彼女がさっきまでいたく気に入っていた流動する景色の方へ促してみるが、 その手には乗ってくれなかった。
興味は完全に此方に向いてしまっている。

(ちっ、前やったらころっと騙されよったのに。)

平次に対してだけ強化された和葉の頭脳。
十中八九、あの子ども真似がプロ級にうまいキザな高校生探偵とその彼女(未来夫婦確定)組の仕業だろう。

(工藤、姉ちゃん。ほんま余計な事をっ!)

ぎりっと奥歯を噛み締めて二人への(99%キザ男への)呪詛を吐きつけた。

「平次っ!」

「なんやねん!耳元でぎゃーぎゃー騒ぐなっ!鼓膜破れたらどうしてくれんねやっ。」

「なっ!?そ、そんな大声出してへんもんっ!」

「アホっ、元が大きいんじゃ。」

「そんなん平次かてそうやんかっ!」

キッ、と上目遣いに睨みつけながらずずいっと身体を寄せてくるのに、「しまった!」っと思っても既に遅く。
眼前には、熟れたリンゴの頬に、まさに彼女の背中越しに見える夜空を写しとったかのような瞳。

(どないせえっちゅんやっ!!)

この状況、手を出さねば男が廃る。
けれど、その後直面するだろう現実が、後一歩という瀬戸際で己の理性を繋ぎ止めている。
硬直している自分を見て、不思議そうに和葉が首を傾げて手をかざしている。
実際は、もう数十センチの距離にあるはずの姿が、遥か遠くに感じ始めた、
―――――― その時。



  バチコォ ――――― ン

服部家の縁側に小気味よい音が響いた。

「平次っ!あんた、和葉ちゃんに何しようとしてるんっ!?」

頭上から聞こえてきた厳しい声に、ぼやけていた視界がようやく色を持ち始めた。
頭が痛い、特に後頭部が。
まるで棍棒にでも叩かれたみたいに。

「 ・ ・ ・ って、何してくれるんじゃ!オバハンっ!!」

「それはこっちの台詞やわ、・ ・ あんた、なんか不埒な事考えてたんや、ないやろね?」

「なっ、」

強ち間違ってもいない、というかかなり後ろめたい指摘に言葉が続かなかった。
突然勃発した俺とおかんの争いに付いてこれないらしく、 和葉はきょとんと、頭に『?』をまき散らしながら、ただただ見上げてくるだけ。
黙り込んだ俺を静かに冷たく見下ろす一対の目。
それがきらりと光ったように見えたのは、本当に気のせいだろうか。

「まったく、・ ・ ・ ・ これがうちの息子やと思うと、・ ・ ほんま情けないわぁ。」

「 ・ ・ ・ ・ ・ 何がやねん。」

大仰に肩を竦め溜息をつく仕草に、声のトーンが下がる。

(くそっ)

今回は、悔しいが分が悪い。
少なくとも、静華の言ったことを大方図星だったし、自分でもちょっと情けないとは思う。
けれど、・ ・ 否、だからこそ。
他からそんな事を言われたくない。余計に悔しくて惨めな思いがする。

俺の機嫌を察したのか、再び溜息をつくと、まだ呆然と動けないでいる和葉に声をかけた。

「和葉ちゃん、こんなアホはほっといて。流星群もそろそろ終わりそうやし。
うちが買うてきた和菓子でも食べよか。」

「えっ、で、も。」

困ったように、躊躇いながら俺の方に視線を寄越す。
和葉も不機嫌丸出しの俺に気づいているらしい。
その事に少しだけ心が浮上する。やはりこいつが幼馴染みで良かった、と思う。
隣を見ればいつも和葉がいる。
その充足感は、近すぎたために生まれた不可抗力なんか比べ物にならないほど、 多くの物を与えてくれる。

「台所に置いてあるんよ、取ってきてくれる?」

静華がにこりと、邪気のない顔で和葉に頼んだ。
無言で、少しだけ表情を弛めて頷いてやると、 まだ心配そうに眉を寄せていたが、やがて立ち上がって台所へ消えていった。
途端、感じる威圧感に、「この、猫かぶりが、・・・」と口の中だけで呟いた。

「それで? ・ ・ ・ ・ ・ 何しようとしてたん?」

「別に、・ ・ なんも考えてへんわ。」

視線を合わせずにぶっきらぼうに答えた。

「平次、」

名前を呼ばれただけなのに背中を駆け上がる緊張感に、さすが、というしかない。
やはり、あのオヤジを何十年も率いてきただけはある。
オヤジにすら勝てない俺が、この女傑に敵うわけがない。



ふと、そこで今まで横たわっていた重苦しい雰囲気が一瞬にして雲散した。

「ん?」

見上げると、おかんは口元に笑みを湛え、手は頬あたりに添えていて。
俺の一番嫌いな表情をしていた。

「平次、」

さきほどとは全く違うテンションで呼ばれた名前に、前とは別の意味で背筋が寒くなる。

(ろくな事があった試しがないわ、)

この表情を見た時は。
前は果たしていつだったか。

おかんが俺に対してこんな風に笑いかける時は、大まかに言って3つ。
本気で怒っている時、
お願い事という名の命令をする時(ほぼ和葉絡み)、
最後に、俺をからかい楽しむ時だ。
この場合、間違いなく3番目で、だからこそ一番嫌な表情で。
ついつい眉間に皺が寄ってくる。

「おばちゃん、」

向こうから和葉の声が聞こえてきた。
近づいてくる足音も。

(ナイスや、和葉っ!)

ほぉっと息を吐き出した。
おかんはあからさまに残念そうな顔をしているが、少なくとも危機は脱した。
けれど、



静華はずいっと耳に顔を近づけ、そして一瞬でまた離れていった。

「まぁ、あそこで押し倒すぐらいしたら、男としては認めたってもええんやけど、」

(は、)

「おばちゃんっ、和菓子ってコレでええの?」

同時に襖を開いて顔を覗かせた和葉に、静華はいつもの笑みをむけた。

「ええ、それよ。さ!いただきましょか。」

「うん!あっ、平次も食べるよね?」

「ごめんね、和葉ちゃん。この子、まだしばらく此処に居たいらしいわ。
先に、おばちゃんと一緒に食べとこね。」

「そうなん?それじゃあ、あんまり身体冷えんうちに入って来ぃな。」

と、果たしてどちらの家なのか分からないような事を言い残し、二人で中に入っていった。
静華の方は、ちらりと不適な笑みを零して。




「 ・ ・ ・ ・ ・ あんの、ババァッ!!!」

してやられた、完全に。

(くそっ、覚えとけや。オバハン!!)

次こそは、と今までに何度思ったか知れない決意を、再び心に刻みつけた。
やはりこの気持ちへの一番の近道は、服部・遠山両家を操る静華を倒すことらしい。

「くそぉーっ!」

声は、冬空に瞬く星に吸い込まれていった。





ホントに久々のコナンUp
静華さん相変わらず好きです、和葉ちゃん贔屓奨励(笑)
強くて気丈で綺麗(着物美人)でカワイイ、っていうのが。
いいですね、和葉のお母さんとの友情も書いてみたいv

date:2006/11/23   by 蔡岐

【宿花(閉鎖されました) , "白鳥座" …「何でもありな100のお題」より 】