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聖バレンタイン一週間前


気温は低いし風はきついが、室内にいる分にはうららかな日和だった。
美術部は毎週火曜日が活動部だけど、別にそれほど厳しい部活ではないから、作品が立て込んでる奴以外は来たり来なかったりだ。

パステルクレヨンを置いて、目の前にある大枠のガラス窓から、運動場とその延長線上にある空を見る。

「…もう、2月だねぇー」

「ああ、そうだな」

「バレンタイン一色だよねー」

「…ああ、」

「生チョコ、ケーキ、クッキー、和菓子、ゼリ…」

「ああ煩い!!何が言いたい!?はっきり言え、佐助!」

ついに爆発したかすがに「ごめんごめん、」と謝ると、「誠意がない!」とさらにキレられた。
何が言いたい、って別に言いたいことはこれと言ってない、…っていうか、俺が言いたいのはまさにずっと呟いていたことだ。

「あー。…かすがちゃんはさ、上杉先生に何あげる?」

「なっ!」

俺の質問にみるみる真っ赤になるかすがちゃんを心底可愛いと思いながら、俺は心中で深々と溜息をはいた。
「何をあげるんだ?」とさっきからずっと気持ちに問いかけているものの、今ひとつ良い案が浮かばない。
旦那や大将なら何でも(そんでもって、食べ物で甘いやつならさらに何でも)良いと言うだろう。
……だがしかし!
何でも良い、って言葉ほど主婦を困らせるものはないのだ。

あ。
断っとくけど俺は主婦じゃないからね?
ただ、武田家の大将にもお世話になっていて、旦那とはほんっとーに小さい頃からの知り合いで、 この二人がまた恐ろしく家事が苦手なもんだから、大将の奥さんを手伝って、たまに代行してやってるだけだから!!
主婦ではない!
断じて、違う!

「お、おい。どうした佐助。握り拳に血管が浮いて、いる、ぞ?」

「え。ああ、何でもないよ。」

恐る恐る訊いてきたかすがちゃんに笑い返して、俺は本題に戻る。
つまり、後一週間を切ろうとしている「乙女の日」(俺に言わせれば、一年で一番甘ったるい空気が家中を漂う日)に、 あの伸び盛り食べ盛りの男に何を作ろうか、ってことを、だ。

「ねぇー。かすがちゃんはどうすんの?」

「貴様はっ、決まっているのか?」

「全然ー。だから、訊いてんの!」

本当に全く決まらない。
旦那が一言、「これがいい!!」って指示してくれさえしたらこの不毛な思考は終わるというのに…。
今朝、登校中にさりげなく尋ねると、真っ赤に照れて「さささっ、佐助の作ってくれるものならっ、 そ某何でも!良いぞ!?」と言われてしまった。

旦那、その言葉はマジで嬉しいけど、……俺様ってば、ほんと困るんだよ?


「わ、私は!」

おお。
かすがちゃんが喋り始めた。
手に持つポスターカラーの黒チューブを横の机に置いて、目をキラキラさせて語り始めた。

「私は、この絵を完成させ謙信様にっ…!あの、お方は和菓子が好きでいらっしゃるからそれも添えて。 ……それで、それで。ああ!謙信様ぁーー!!」

最後はこの2年間お決まりの台詞で終わったかすがちゃんは、頬を紅潮させ、俺が「ねえ、ちょっと大丈夫、かすが。」 と心配してしまうほど、ゆらゆらと全身を揺らしている。
あー、美術室俺達しか居なくってよかった。
男共なんて居ようものなら、この雰囲気にあてられて、そんでもって馬鹿なことに上杉先生と自分を比較しちゃって、 絶望のどん底に落とされるだけだろう。

ああ、一人だけこの氣にもあてられず、上杉先生との比較もしなさそーな奴が美術部にもいるが、あれは……まあ、別格だな。

「あっ、…ああ、佐助。お前はどうするんだ。」

我に返って、かすがは慌てたように俺に話題を振ってくる。
かすがちゃん、ようやくここが学校だって事を思い出してくれた?
俺様ねー、……マジでどうしよう。

「うーん、」

「ええい!いつまで悩んでいるんだ!?」

「だってさぁ、」

「真田など、貴様が作ったものなら何でも良いに決まっているだろう!」

そうだろうけどさ。
でも、どうせならより喜んでくれるもの贈りたいじゃん。
まあ、旦那は菓子なら何でも全部好きだけど。

「――あ、」

「どうした?決まったのか。」

何となく嬉しそうにかすがちゃんが訊いてくる。
やっぱり女の子ってこの手の話好きだなぁー。と、自分のことは棚に上げて、思う。

「んー、決まったってぇか。逃げたというか。…ま、いっか。」

「なんだっ、私にだけ言わせて!お前も」



「おっ、しーちゃん!かすがちゃん!ちょうど良いところに。」

「「……。」」

慶次、あんたはもうちょっと場の雰囲気読んでから、扉開けた方が良いと思うんだけど。
見事固まって、ついでわなわなと肩を震わせるかすがを横目で見ながら、俺は振り返る。

「どうしたのさ、慶次。ってか、俺はしーちゃんじゃない。」

「まあ、良いじゃねぇか。」

や、良くないだろ。
本人が嫌だっつってんだから、いい加減諦めて名前でも名字でも良いからそっちで呼べよ。
相変わらず、独眼竜とは違う意味で(そして旦那とは全く真逆のベクトルで)ゴーイングマイウェイな前田慶次は、 にっこにこと笑いながら、部屋に入ってきた。

「珍しいね、あんたがこの時間に来るなんて。」

こいつは美術部の他に、茶道部にも入っているから、火曜日の出席率は他の部員より群を抜いて低い。
特に1月は皆無だった。

「そろそろ締め切りだなぁって思ってさー」

「何。まだ、手もつけてないの?」

「そう!」

いや、そんなはっきり言われても…。
カンバスを棚から取り出した慶次は、そのまま俺達の座っている所に近づいてきて。
――見事に、かすがちゃんに殴られた。
ゴツゥーンッ、といい音がした。

「いっでぇ!」

「前田、貴様ぁ!!私が、わたしが言おうと思った時にぃーー!」

「痛っ、痛いって!」

ボコボコと結構強く慶次の頭を叩くかすがちゃんに、ぎゃーと慶次は逃げ回っている。
かすがちゃんがそれを追いかけてー、ってな感じで、美術室を男女がぐるぐると回り続ける。
寒いってのに、元気だねー。

視界の端にその追いかけっこをおさめながら、俺はさっき考えた付いた事を思案する。
旦那は何でも良いと言う、だから俺はどれにしようか悩んでいたわけだけど。いっそのこと、全て、 作れるものは全部料理してみたら……、と思いついたのだ。

言ったら絶対文句言われるだろうけどね、かすがには。
「貴様は真田に甘すぎる!!!」とかなんとか。もう、言われ慣れた自分が少し悲しい。

「佐助」

「うおっ!」

物思いにふけっている間に、慶次を追いかけ回してある程度憂さは晴らせたのか、かすがは再び俺の横の自分のカンバス前に戻ってきた。
慶次の様子が気になるが、今は振り返らずにおこう。

「で、貴様は結局どうする気なんだ」

「なんか、もう一つに決めるの面倒臭いから、全部作るわ」

「「はぁ!?」」

かすがと慶次が見事にはもった。
慶次は目をぱちくりとさせ、かすがに至っては落ちるんじゃない勝手ほど見開いて、俺を凝視する。
やっぱり驚くよねー。
俺だって、「ほんとにこんな旦那に甘くて良いの?」と自分にツッコミを入れたいくらいだ。
……だが、悲しいかな。

今日くらいは良いか?、と思ってもいる。

「佐助っ、おまっ、本当に真田に甘すぎるぞ!!」

「そーだよ、しーちゃん!俺の分は!?」

「なんで、慶次の分まで作んなきゃいけないのさ」

催促しなくたって、まつさんがくれるよ、きっと。
まあ、…本命のついでだろうけど。

旦那は、――きっと喜んでくれるだろう。
その顔を見ることができれば、それだけで良いと思う。


「材料は、…ま、今年は土曜だから週末に買えばいっか」

「聞いているのか!?佐助っ!」

耳元で怒鳴るかすがの方を向く。
かすがちゃんの言いたい事はわかる。俺も、半分とはいえ同じ気持ちだから。
だが、…だが。

「そうは言うけどね、かすがちゃん。毎年何作りゃいいか悩む俺の身にもなってよ。大変なんだよ? なんか知らないけど、毎年作るせいで結構期待されててさ!特に一週間前くらいになると、目をきらきらさせてんだよ!?」

「だ、だからといってなっ。全てって、お前いくら作るつもりだ!」

かすがの詰問に一瞬黙る。
ほんとだ、俺いったいどれくらいの菓子を作るつもりだったんだろう。
だが、そう考えたのは一瞬だった。

「……いいじゃん、時間の許す限り何でも作ってあげるよ。だってあの人達甘い物に目がないし」

「それを甘やかしていると言うんだ!」

「もういっそのこと、あげねぇって選択肢はねぇの?」

慶次がとんでも無い事を言いだした。

「はぁ?」

あげないって、あげないって。
そんなの無理に決まってる。
楽しみにしてくれている旦那に、小さい頃から現在進行形でお世話になりっぱなしでお世話しっぱなしの大将相手に。
――俺が、そんなことできるわけない。
にやりと笑う慶次は、既に俺がそんな事できないのをわかって言っている。
俺は無駄に図体だけは体育会系の慶次を睨み付けた。

「馬鹿な事言ってないで、さっさと書き始めないとすぐ暮れるよ?」

「え?うわっ、」

奇声を上げて急ぎ始めた慶次を見て、ふぅーと息を吐き出す。
視線を感じてそちらを見ると、かすがちゃんがまだ何か言い足そうにしていたが、やがてはぁと重い溜息をはいて、 カンバスに視線を移してしまった。
諦められたのか、取りあえず旦那への想いを認められたのか。
激しく微妙な所ではあるけど、まあどちらにしたって色んな種類の菓子を作る事は俺の中では既に決定事項で揺らがない。

ふふ、と声には出さず笑って俺もカンバスと向き合う。

「さて。んじゃ、さっさと描きあげないとね」


置いていたクレヨンをもう一度手に取る。
そして、赤く柔らかな線を、放置中だったカンバスに塗りつけていった。



date:2009/02/07   by 蔡岐