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さら さら   ぱら ぱら

落ちて 変色してゆく白桃色の花びらを

手で受け止めて 空へ帰した……




樹の下に散らばる無数の屍が腐食してゆく。


月の綺麗な宵だった。
酒と団子で月見と洒落込もうと、軒先にあぐらをかいた旦那の横に座る。
目の前には、両手いっぱいに花弁を抱えた大木が、地面にしっかりと根を下ろしている。
ときおり、強めに吹く風が、さあっと淡く桃色の白い花びらを地面へ突き落とす。

「散ってくねー」

「散ってゆくな、残念だ」

旦那の横顔は、本当に心底残念そうで悲しそうで、
俺は、思わずぷっと吹き出す。

「むっ、何を笑っておるか!」

「あははっ、……だって、ねぇ?」

笑いながら、旦那に話を振る。
馬鹿にされたと思ったのか、旦那の顔は赤い。
その赤みにさらに口角が上がる、本当に、おもしろい人だ。

「佐助っ!」

耐えきれなくなったのか、茹で蛸のように真っ赤な旦那が喚く。
俺の名を呼ぶ。
仕え始めてから変わらない、この人はこちらが驚くほど感情を素直に表す。
旦那はまっすぐすぎる。
それが、俺の、俺たち忍軍の誇りでもあり、畏怖をも助長する。
ゆえに、いつも俺のこの人への評価は『困った主』だ。

「はいはい、落ち着こうね。旦那。馬鹿にしたわけじゃないよ」

「むう……」

いなしてやると、不満を顔全面に押し出しながらも怒りは消える。

「あんたが、あんまり淋しそうな顔するから。……そんなに残念?」

「あ、当たり前であろう!?せっかく待ちに待ったのに、ものの数日で散ってしまうなど……」

「でも、どうせいつかは散るよ?」

「……その様な事、言われずとも解っておる」

「ふーん。」

じっと真横にいる旦那を覗き見る。
だが、とか、それでも、とかを口の中で発しては、どうにか言い返す言葉を考えている。
無理だよ、旦那。
旦那にみたいな実直な人間が、芯もない忍に口で勝てるわけないじゃない。

「…………ちょっと、意外」

「ん?何がだ?」

俺の言葉に考え込み、俯いていた頭が上がり、こちらを見る旦那の茶色い瞳がみえる。

「旦那ならさ、『潔く散る、これぞ武士の在るべき姿ぞ。』ぐらい言いそうじゃない」

「桜はもののふではないぞ」

「知ってるよ。でも、言うと思ったのに」

自分で言った言葉に、少し傷ついた。
………忍は、心を持たないはずなんだけど。

旦那がその科白を言い出さなかった事に心底安堵する俺がいた。
旦那は真面目だから、一度口にした事は何がなんでも守ろうとするから。
言葉として表に出てしまったら、本当になりそうで怖かった。

「思いつかなかったな、散るのを惜しむ事しか頭になかった」

旦那がしみじみという。
子どものような事を言う、俺よりよっぽど大人な主は、やはり少し笑えた。
今度は、気づかれないようひっそりと息を殺す。

「そっか。」

応えた俺の声には、隠しきれるか危ういほど浮かれた感情が入っていた。
「うん、そっちの方が、やっぱ旦那らしいね。」と、慌てて言い添える。

「そうか?……うむ、佐助が言うならそうかもしれん。」

簡単に俺の心を鷲掴む言葉を吐き、旦那は月を見る。
はっ、として俺も夜空を見上げた。
月見といいながら、いつの間にか花見にすり替わっていた。


お互い何も話さず、沈黙が落ちる。
不思議な事に、この屋敷を警備する部下達の気配さえもいつしか消え失せていた。

「あのな、」

唐突に静けさは破られた。
「あのな、佐助」と旦那は言う。

「……考えなかったわけではないのだ、その事を。
むしろ、お前に話を振られて始めに思いついた」

「そう。」

「けれども、な。何故だか、言葉に出来なかったのだ。
……言の葉の力とは恐ろしいものだと、兄上に言われたからかも知れぬ」

「『口に出してしまった事は戻らない、これほど恐ろしい事はない』とな、 兄上に諭されたからかも知れぬ。」そう口にする旦那の顔を、俺は見れなかった。
相変わらず、天上の月を見上げて、どこかぼんやりした雰囲気で旦那は言葉を紡ぎ出す。
振り向いた途端、消えてしまったらどうしよう、と。
馬鹿げた事を柄にもなく思った。

「某は御館様をお慕い申し上げておる。
御館様の御上洛をこの目で見るまで死ぬつもりなどない」

「……うん、知ってるよ」

「けれどもな、某は御館様のためならいつでもこの命差し出す覚悟がある」

命を捨てる、という語を旦那は敢えて使わなかった。
そう思った。
俺は苦笑した。
俺が馬鹿みたいに少し落ち込んだ事も、この主はしっかりと見抜いているのだ。

「佐助」

名を呼ばれた。
旦那は俺の方を見ていた、否、俺を見ていた。

「某がもし、この桜の木の如く散ったなら、お前は何を考えるのであろうな」

「………………」

「何も感じないだろうか、馬鹿な主と嗤うだろうか、己の不甲斐なさを呪うだろうか」

旦那は俺の返事を期待していない。
期待されても困るので、それはそれで良かった。
……この人は、その問いに俺が答えを出すと本気で思っているのだろうか。
忍に心はないというのに。

にかっ、と眩しいほどの笑顔で旦那は笑った。

「安心しろ、俺は死なぬ。佐助を残して、死んだりせぬ」

「…………は、」

吐きだした息は、言葉にならずに消えた。
心臓に悪い、そう思う。
この主、いやこの男はとことん俺の心臓に悪いのだ。

「さあ、飲むぞ!月見酒だ。」

「……はあ、あんたの頭は結局それなわけね」

「むっ、良いではないか。花も満喫できる最高の宵だ。風流であろう」

旦那は、団子をもしゃもしゃと食べながら、愉快そうに言う。
その表情は、さっきまでのおぼろげさは微塵もなくて、存在感に満ちている。

「風流、風流ねー。これほど、旦那に会わない言葉もないね」

「な!?失礼だぞ、佐助!某とて……」

再び憤慨して、旦那は口の中の団子だった物体を飛ばす勢いでしゃべり始める。
それにお小言をくれてやりながら、俺は旦那を宥める。
にこにこと笑う己が、さすがに少し気色悪いと思った。

月はもうすぐ天頂に届こうとしていた。


date:2008/04/10   by 蔡岐

Lanterna , "樹の下に散らばる無数の屍が腐食してゆく。"】