流離い枯れた我が身をせめてあの場所に還らせて欲しいのです ――――高い空、 赤で埋め尽くされた視界の中、赤黒く染まった忍装束を鬱陶しく払いながら、 けれど当時を思い出して浮かぶのはいつもあの高い高い空なのだ。 既に冷たくなってしまった主を抱きながら、ただただ呆然と天を仰いでいた。 蝉の濃密な気配を全身で感じながら見上げた空は、 真冬のような薄白いもので無機質で、それが酷く俺を安心させた。 旦那が討ち死にした翌年、大将―甲斐の虎…武田信玄―は上洛を果たし、 ここに旦那の長年の悲願であった天下統一は成し遂げられた。 旦那が死んだ後、大将はこれまで以上に天下というものに傾倒するようになった。 若くして討ち死にさせてしまった、孫のように可愛がっていた武将の夢を一刻も早く叶えてやりたかったのだろう。 旦那の夢、とは大将の夢と同義だ。 だからこそ、だろうか。 倭の国を統一せしめた後、今までの雄々しいまでの雰囲気は影を潜めてしまった。 もちろん、戦国の世の一武将という値ではなくなったのだから、それも当然といえるかもしれない。 別に天下人として威風がない、というわけではない。 それでも――――と考えるのは、 ときおりふと思い出したように自分だけに見せる物寂しげな雰囲気のせいだろう。 (大将も、老けたよねぇ) 本人が聞いたら眉を寄せて唸りそうな事を考えながら、大型手裏剣を振るう。 相変わらず赤い血が飛び散るのを目の端に納め、飽きもせず襲いかかってくる同業者に目を向けた。 本当に、……人間なんてものは簡単には変わらない、変われない。 戦国の世が終わりを告げてもう一年も経つのに、未だ大将や武田の重臣を狙う輩は後を絶たない。 隙あらば、徐々に統一されつつあるものを横から掻っ攫う魂胆なのがバレバレだ。 向こう側も隠そうとは考えていないのかもしれないが………………。 (はぁ、全く休む暇もありゃしない) 否、 本当は考えたくなかった。 旦那が死んで、働いて戦って殺して逃げて逃げて逃げて。 思考をそこへ至らせないようにしてきた、ずっとその事だけが俺の心を蝕んでいっていた。 (あの世からでさえも、……俺の心を掴むんだもんなぁ〜) 囚われてしまった己はきっと死んでも離してはもらえない。 それなのに、…………あの時を思い出して現れるのは、旦那ではない、幸村ではないのだ。 それが、わからない。 (旦那に訊けば……わかるかな、) 最近考えること。 否、真田幸村という武将が死んでからその考えは俺の中に徐々に蓄積されていった。 だからこそ、しきりに隠居をすすめる仲間や大将達の言葉を無視するように仕事を続けている。 旦那の元へ、その思いだけが今の俺の原動力だった。 こんな事を言えば彼は怒るだろうか、困るだろうか。 仕方がない、 (忍は、死にたがり屋ばっかなんだよ、旦那) 旦那が悪い、俺を置いていったりするから。 あんたが生きろというから俺はこれまで生きてきた。 貴方が敬愛するお館様の天下を見定めよ、 と他ならぬ貴方が言ったから、俺は今の今まで浅ましく生きてきたのだ。 敵は既に2、3名に減っていた。 辺りにはいっそ美しいまでに外傷のない、喉のみを切り裂かれた死体が転がっている。 これならば自分が何もしなくてもそのうち森のもの達が『処理』してくれるだろう。 ひゅ、っ――――ぴっ 最後の男を背後から回り込んで、一気に掻き殺す。 飛び散る血飛沫を敢えて避けず全身に浴びる。 臭いのしないはずの己の身体からは、鼻を覆いたくなるほどの鉄の錆びた臭い、 それすらも気にならなかった。 (ああ、空が高い――) 目を閉じればまざまざと思い出される空と、同じ背景を背負った俺。 足りないのは、旦那だけ。 この場に、この世界の景色に決して馴染めない俺を一人置いていった貴方は、 本当にどこまでも我が儘で自分勝手で酷い主だ。 木漏れ日が俺の足元に横たわるまだ若いだろう忍の亡骸を照らした。 俺は黙って空を見上げる。 あの日と同じ、真冬のような太陽と薄白い蒼い空が、森に包まれた俺を包み込む。 思い出すのはいつもあの風景。 寂寥と哀愁と、それでいてどこまでも人の想いを突き放したような色。 それに安堵した自分は、今日の事をすでに予感していたのだろうか。 だとすれば、この2年もあながち寄り道では無かったのかもしれない。 いささか曇り始めた天をなんとはなしに見ていた目には、かの日失った焔の光が宿っていた。 |