探偵さんらしい…。

薔薇十字探偵社と書かれた硝子窓を見上げて、呉美由紀は心底思った。
この感想は、毎回神田へ来てこのビルに立ち寄るたびに思うのだが、今日はまた一段としみじみとそう感じる。

ゆっくりと前へ進み、榎木津ビルヂングの前に立つ。
視線の先にある階段に、重い一歩を踏み出した。




破壊神と女学生の場合。


前にいた学園での、あの事件の後、美由紀は無事東京の女学校へ転入を果たすことができた。
けれど、以前より遥かにゆるやかな規律の中で、ふと気が付くと考えているのは全て千葉のあの時にまつわることだった。

小夜子、碧……織作家。
思い出にするには、あまりにも死にすぎた。

あの歪んだ学園でなかったなら、或いは。

気が付くと、美由紀は無意味な考えに囚われていた。
無意味でいて、どうにも自分では制御することの難しい心の混じった問題だった。
そんな風だったから、新しい女学校にもあまり馴染めず、ぼうっと過ごすことが多くなった。
その時、ふいに思い至ったのだ。

数多の意識の渦がたった一つに凝固した。
後から後から浮かんでは消える思考の泡の中で、脳裏に出現したまま離れない人がいる。
それが探偵だった。

――――だから美由紀は会おうと思った。
住所も、ほとんど知らなかった。
住み初めて間もないために、学校周辺の地理にも暗い自分が、労を要せず探偵を見つけられるとも思わなかった。
それでも、『探偵に会う』という行為のために歩き続けることが、今の美由紀には必要なことに思われた。


歪んだあの空間の中では、外から来た探偵は異端者だった。

けれど、たとえ舞台が千葉でなく東京でも、やっぱり探偵は奇抜で他とは何かが違っていると感じただろう。
ちょうど……、この雑居な町並みの中でも思わず立ち止まってしまうビルヂングみたいに。
美由紀も初めてこの建物を見た時、視線が吸い寄せられるような感覚を覚えた。

降りたことのない駅で降り、神歩町を彷徨い歩いていた時、ふと遠目にも高い建物があることに気づいた。
途端、脚が地面に縫い止められたように動かなくなった。
直感……、というものなのか。
美由紀は、あの時の感覚を言い表せる言葉を知らない。
けれど、「ここだ」と確信した。


「女学生君!」

「え?」

背中で聞こえた声に振り返る。
思った通りの人物が、予想しないほどの近距離に立っていて、びくりと美由紀の肩が揺れる。
探偵は開襟シャツに下はジーンズという、米兵のような出で立ちで、美由紀の視界を塞いでいた。

「た、探偵さん」

気の抜けた声に被さるように、「わはははっ!!」と無駄に大きな笑い声が階段内に響いた。
後ろから声をかけたということは、探偵は今まで不在だったのだ。

「よく来たねっ、女学生君!」

「は、はあ。ありがとう、ございます?」

首を傾げながら何に対してかわからない礼をする美由紀に、再び笑いかけて探偵はふと彼女の頭上に視線を止めて、目を細めた。

「探偵さん?」

どうかしましたか?
そう訊こうと開きかけた美由紀の口は、探偵の発言によって一気に閉じられる。

「よし!!女学生君デェトをしよう!」

「……ええ?!」

美由紀は階段の中腹で驚いて目を丸くした。

「何故ですか!」

「決まっている!!僕がしたからだよ。」

「そ、そんな…横暴ですっ。」

喜ぶ気持ちを隠そうと弱々しく呻いた意見に、しかし探偵は少し自信を失ったらしい。
さきほどまでの勢いはどこかへ消え去り、寂しそうに眉を下げた。

「したくないの?」

そう聞かれると美由紀としても困ったしまう。
だいたい、探偵に会いにここへ来たのだ。
会う、ということは、ただ顔を合わせるだけに留まるものではない、と美由紀は己の願望と量り合わせて考えている。
ここで、断れば探偵は上の階にある薔薇十字探偵社へ帰るだろうし、美由紀もできればお邪魔させてもらいたいが、気まずくなるのは確実だった。

それに。
嬉しいという気持ちも、心の中には大きい。
断るという選択は酷く困難なものだった。

「そんなこと、ありません」

むしろ、誘って頂いてとても嬉しいです。

さすがに初々しい女学生、そんな恥ずかしいことを美由紀は言えなかった。
が、探偵は素直でない美由紀の言葉から、同等の言葉を感じ取ってくれたたらしい。

「よし、いい子だ!行こう行こう!!」

探偵は口調とはちがって、優しい手つきで美由紀の手を握ると、そのまま階段を下り始めた。
美由紀も慌ててついていく。

「た、探偵さん!」

「早く!デェトだっ!」

「わ、わかりましたから。大きな声で言わないでください!」


探偵は、もはや修復不可能なほど歪んで腐敗してしまっていたあの学園から美由紀をすくい上げてくれた。
彼にその気があったのかは定かではないけれど、少なくとも美由紀にとって探偵は破壊者であると同時に救世主でもあったのだ。

探偵は自身を神と称した。

他の人にとってはどうかわからない。
だが、美由紀にとって……。

依然は少しだろうが縋る気持ちのあった異国の神ですら信じなくなった美由紀が、唯一存在を信じている神なのだ。

神にとって、榎木津にとって、自分が気を向けるに足る人間かは、まったく自信がない。
それでも、あの日美由紀を助けた神は、今もこうして迷える自分の手を引いてくれている。
その事に、譬えようもない充足感を得た。


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date:2009/01/22   by 蔡岐