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  『眼鏡』




服部が眼鏡を掛け始めたのは、GWが明けて暫く経った頃。
別に視力が落ちたわけじゃなくて気分転換だとか言ってたが、俺には何となくその理由がわかった。

「よう!」
「おう!」

この春から同じ大学に通い始めた俺と服部。
学部も同じだから、毎日のように顔を合わせている。

「レポート、進んどるか?」
「それなりにな」
「余裕やなぁ……。提出期限、明日やで?」
「オメーはどうなんだよ?」
「昨夜仕上げたからな、今日、出してくるわ」
「……俺だってな、急ぎの依頼がなければ余裕だったんだ」
「自業自得やな」

楽しげに笑う服部は、今日も眼鏡を掛けている。
初めて見た時には酷く違和感を覚えたが、 柔らかな曲線を描くレンズを包み込む深いコバルトブルーのフレームは、今はしっくりと服部に馴染んでいる。

「それより、夏の予定聞いたか?」
「ああ、旅行やら海やらってヤツか?昨日、和葉から電話で聞いたで?」
「蘭と和葉ちゃんが二人で計画してるらしいんだけどよ、オメーに合わせるから、俺からも予定聞いてくれって言われた」
「何でオレなんや?」
「オメーが一番、ドタキャン率が高ぇからだろ?」
「オマエに言われたないで?」
「事実だろうが」

少しばかり不機嫌そうに片眉を上げる服部に、俺は軽く笑って返した。

服部の予定に合わせると言ったのは、蘭だ。
和葉ちゃんは『アタシらで決めてまお』と言ったらしいが、蘭の方が強引に押し切ったようだ。

蘭は、服部がこっちに来てから、何かと和葉ちゃんの事を気に掛けている。
大学が違うから蘭が服部に直接会う事はあんまりないが、かわりに俺から奴の様子を聞き出しては、彼女に伝えている。
始めのうちはその意図がわからなくて、服部の事ばかり聞きたがる蘭にイラついた事もあった。
だけど、それが遠恋になってしまった二人を心配しての事だってわかったから、 今では俺から話を振ったりもするようになった。

実の所、俺も心配ではあるんだ。

初めて服部から志望大学を聞いた時は、やっぱりなと納得したのと同時に、本当に大丈夫なのかと不安にもなった。
学力という点ではなくて、こっちに進学するのが服部一人だって事に。

何せ、依頼先にまで和葉ちゃんを連れ回してたんだ。
そんな奴が、彼女置いたまま東京に出て来るなんて考えられなかった。

今隣にいる服部は、平気そうな顔をしてるけれど。

「オレはいつでもええ言うといてや」
「ドタキャンは命取りだぜ?」
「オマエには言われたないわ」

そんな会話をしてたら、後ろの方から俺たちを呼ぶ声がした。

この声は、富野と松井。

肩までの、脱色した茶髪っつーか金髪のソバージュ頭の富野と、同じような色したショートボブの松井。
どっちも化粧が濃いが、多分世間一般ではそこそこ美人の部類に入るんだろう。
本人たちもそれが自慢らしい。
そいつらが、学部も違うってのに、入学以来、何かと纏わりついてきて、覚えたくもねぇのに、名前まで覚えちまった。
面倒くせーから聞こえなかったフリしようと思ったのに、すぐ後ろからまた名前を呼ばれた。
仕方なく振り向こうとした時、服部が小さくため息をついたのがわかった。

「おはよう、工藤クン!」
「おはよ」
「ねえ、服部クン。今日お昼一緒に食べよう?」
「工藤クンもどう?」
「スマンけど、オレら教授に呼ばれとるから」
「待っててもいいよ?」
「学食に新しいメニュー入ったらしいしさ」

勝手に話を進めながら、富野が腕を絡めようとしてくる。
鬱陶しいから、荷物を持ち直すフリして、さり気なくかわした。
隣からは『あん!』だとか『もう!』だとか、媚びたような声が聞こえたから、服部の方も適当にかわしたらしい。
富野が服部に向かって『照れてるのぉ?』などと抜かしてるが、どこをどう見たらそう思えるんだ?
服部、今すげえ機嫌悪いじゃねーか。
周りの空気がぴりぴりしてて、苛立ってんのがわかんねえのか?

……まあ、愛想だけはいいから、わかんなくてもしょーがねーけどよ、いい加減、相手にされてねえって事に気付けよ。

内心ため息をついた所に、また声を掛けられた。

「よお!朝から美女連れとは、羨ましい限り」

声の主は、吉本。
大学に入ってから知り合った奴で、ちょっと軽薄なトコもあるが、そこそこ気配りのきく男だ。
俺たちの様子を見て何かを感じ取ったらしい。

「彼女たち、悪いんだけどさ、ちょっとコイツら借りてくな?」

嫌味のない笑顔でそう言うと、ひらひらと手を振って見せる。
コレ幸いと、俺たちは吉本の肩を押すようにして、その場を離れた。

後ろの方で抗議の声が上がったが、ついてはこない。

十分に距離を取った所で、服部が疲れたようなため息をついた。

「助かったわ……」
「いえいえ、美女との語らいを邪魔したら悪いかなぁって思ったんだけど、何だか困ってたみたいだからさ。  でも、黙ってても女が寄ってくるなんて、羨ましいねえ……」

軽く笑った吉本は、こっちに向き直ると、両手を俺たちの肩に置いた。

「で、助けてやったんだし、御礼代わりに金曜のコンパ出てくれるよな?お前ら来るって言えば、確実に女の子たち増えるし」
「パス」
「オレも予定あるから」
「即答かよ」
少しだけむっとしたような顔を見せた吉本は、すぐにまた笑顔に戻ると、腕時計を指さした。
時間はそろそろ講義が近い事を示している。
教室へと向かいながら、吉本は続ける。

「助けてやったんだぜ?1時間くらいでいいからさ、出ろよ。
 工藤は彼女いたよな?連れて来てもいいぜ?服部はさ、そこで彼女作れば?
 彼女持ちだってわかれば、寄って来る女も減るんじゃないか?」
「間に合っとる」

あっさりと切り捨てた服部に、吉本は一瞬足を止めた。

「ええっ!?服部って彼女いるのか?」
「言わんかったか?」
「初耳だよ!あれ?でも、見た事ないよな?」

吉本は俺に振って来た。

「地元にいるんだよ」
「へえ〜。遠恋かぁ……」

俺の答えに、吉本は感心したような声を上げた。

「でもさ、それじゃあ、いないも同然じゃん?」

続いた吉本のセリフに、服部の気配が変わる。

一言多いのが吉本の欠点の一つだと、俺は改めて思った。俺にはそんなセリフ、口が裂けても言えねえぜ。

「吉本、その口、強制的に閉じさせたろか?」

服部の笑顔が怖い。
吉本も、マズい事を口走ったとわかったらしい。
青い顔をしてぶんぶんと首を振った。
それこそ自業自得だが、一応さっき助けてもらった恩もある事だし、助け舟を出してやるか。

「服部、金曜の夜に和葉ちゃん来るんだよな?」
「ああ」
「だったらさ、コンパに連れて来れば?」
「めんどいわ」
「いいじゃん、オメーの溺愛っぷり見せ付けてやれよ」
「オマエにだけは言われたないで、工藤?」

凄みを増した服部の笑みに、吉本はすっかりびびってるが、この程度じゃ俺には通じねえ。

「俺も付き合うし、駅には蘭に迎えに行かせるからさ、見せつけとけよ。  そうすりゃ、こーいう馬鹿な事言い出す奴も減るんじゃねえ?なあ、吉本?」

吉本は、今度はこくこくと頷いた。

「今度のコンパ、俺と服部は出席。但し、彼女が来たら帰るって事でヨロシク」

固まってる吉本の肩を叩いて、いつもの席に着いた。





「何でコンパなん出なアカンねや」

午前中の講義も終わり、学食で大盛りのカツカレーを選んだ服部は、空いた席に着くなり、疲れたようにそう言った。
ちなみに、俺はきつねうどんとおにぎりのセットだ。

相変わらず、服部はこっちのうどんには慣れないらしい。
よく『大阪の味が恋しい』って言ってるが、正確には『和葉ちゃんの味が恋しい』んだろう。

まあ、そんな事言ったら速攻で同じセリフ返されるから、言わねえけどな。

「俺もあんまり気乗りしねーけどよ、煩い虫追い払えればラッキーじゃん?」

おにぎりをパクつきながらそう言ったら、服部はスプーンをくわえたままがっくりと肩を落とした。

基本的に人懐こくて愛想のいい服部は、男女関係なく友人を作るのも上手くて、こっちの環境にもすぐに慣れたようだ。
それに、友人たちと楽しく騒いだりするのも好きだから、コンパ自体は嫌いじゃないみてーだが、 どうやらしつこく絡んでくる女たちが鬱陶しいらしい。

俺もそれが面倒で、始めに何回か出て以来全てパスしてきた。
幸い、俺の場合は、結構早い段階で吉本みたいな仕切り屋に彼女がいるって事知られたから合コンのお誘いは来ねえが、 服部は何度断っても、そっちからのお誘いも減らないらしい。

まあ、わからなくもねぇけどな。

服部は背も高いし、武道やってるからか身体のバランスもいいし、動きも綺麗だ。
あの面食いの園子にも『結構いい男』と評されるくらいにはハンサムだし。
だからと言って、とっつきにくいわけでもなく、どっちかって言えば親しみやすくて、話も楽しい。
時々、新聞や雑誌を賑わせる知名度も、女たちには魅力的なんだろう。
その上、俺たちの在籍してる学部は、世間では将来のエリート候補だとか言われてる。
これでフリーだと思われてれば、自分を売り込もうとする女たちが寄って来るのも当然だろう。

吉本に言わせれば、実際合コンともなれば、容姿自慢で玉の輿狙いの女たちも多く集まるらしいし。
容姿自慢とは言っても、生憎と俺や服部の周りには 化粧の力に頼らなくてもいいってくらいの美人が揃ってるから、どれほどのモンか疑問だけどな。

それはさておき、確かに服部の事をよく知らない人間には、普段の奴の様子から彼女の影を見つけるのは難しいだろうと思う。
だから、いい機会だとは思うんだ。

中には、遠恋ならまだチャンスはあるなんて勘違いする女もいるだろうけどな。

「あ、服部クンに工藤クン!」
「今、お昼なんだぁ」
「一緒してもいいよね?」

返事を聞く前に俺たちの隣を陣取ったのは、富野と松井。
……こいつらなら勘違いしそうだな。

「オレら、これから教授んトコ行かなならんから」
「え〜?もう少しいいじゃん?」
「まだ教授もお昼食べてるって」
「急ぎなんだよ」

丁度食べ終わった所だったから、さっさと席を立った。

「そうだ!そっちの学部で金曜にコンパあるんだってね。私たちもまぜてもらっちゃったんだ」
「楽しみにしてるね」

耳聡いってーか、その行動力は賞賛してやってもいいが、俺たちの事はほっといて欲しいぜ。
騒がれるのも面倒だから適当にあしらってるが、さすがに我慢にも限度ってのがある。

「やっぱり、ここらできっちり、惚れ込んでる彼女がいるってアピールしといた方がいいんじゃねえ?
 まあ、俺は眼鏡掛けたオメーにも慣れたけどよ」

学食を出た所でそう言ったら、服部は力が抜けそうな程大きなため息をついた。

服部が眼鏡を掛け始めた最大の理由は、恐らく和葉ちゃんが傍にいないって事だろう。

人懐こくて愛想のいい服部。

確かにそれは奴の性質だが、あくまでも表面に現れてる一部分に過ぎなくて、 服部が普段見せる優しさも親切心も全て、他人に対するものでしかない。
だが、それを自分に向けられたものだと勘違いする女もいる。
自意識過剰な女は特に。

それでも、今まではそんな女がいても、服部の傍にはいつも和葉ちゃんがいたから、 よほどの自惚れやでもない限り、あの二人の間には入れないと気付いただろう。

懐が深くて、自分が認めた人間はどこまでも受け入れようとする服部。
俺や蘭の事は認めてくれているが、それはほんの一握りの、ごく限られた人間に対してだけ。

そして、服部が無条件で全てを受け入れ、自分の中に踏み込む事を許しているのは、和葉ちゃんだけ。

大阪にいた時も、こっちに来てからも、それは変わっていないが、服部の傍らには、今、和葉ちゃんはいない。
無理矢理にでも服部のテリトリーに入り込もうとする女たちを留まらせる存在が、今はいない。

鬱陶しいなら冷たく切り捨てればいいのかもしれないが、 そういう女たちは後を引きやすくて面倒な事にもなりかねないから、そうする事すら億劫になる。

だから服部は、眼鏡を掛けたんだろう。
あの眼鏡は、自分と周りとを隔てる壁のようなものなんだと思う。

「まあ、1回見せときゃ大抵の奴は理解するだろうし、元々金曜の晩は4人で会う予定なんだからよ、 待ち合わせ場所がたまたまコンパ会場だったって事で納得しとけよ」
「……しゃーないか」

小さくため息をついて苦笑する服部に、俺も同じような苦笑を返した。

「そうそう、向こう離れる時に和葉ちゃんに渡した『虫除け』の片割れ、持ち歩いてんだろ?オメーもしとけば?」
「そのセリフ、そっくりそのまま返したるで?」

俺たちの間では、彼女との事に関する隠し事は中々出来ない。
この辺の事はバレバレだ。
顔を見合わせて、二人で声を上げて笑った。





「工藤!服部!今日のコンパ、忘れんなよ!」

吉本にそう念押しされたのは、金曜の午前中の講義が終わった時。
周りの連中は、午後の講義が軒並み休講になったのを幸いと、さっさと帰り支度をしている。

「現地集合でええんやろ?」
「勿論!場所わかるよな?」
「大丈夫だ」
「遅刻は5分まで!女の子たちも楽しみにしてるし」
「……勘弁して欲しいわ」

服部が疲れたように机に突っ伏した。
俺も気分は同じだ。

「まあ、そう言うなって」

服部の肩を叩こうとした吉本の手がふと止まった。

「あれ?」

吉本の視線は、服部に向いている。
正確には、突っ伏してる服部の首筋。

「服部、お前もネックレスなんてするんだ」
「へ?」

突っ伏していた服部が顔を上げた。

「気がつかなかったなあ、服部ってそーいうキャラじゃないって思ってたし。で、どんなのが好みなんだよ?」

面白いものを見つけたとばかりに、吉本が服部の首に掛かったチェーンに手を伸ばす。
服部が煩そうにその手を払った。

「何でもええやろ?」
「隠さなくてもいいじゃん?」

吉本はあんまり『懲りる』って事を知らないらしい。
服部怒らせてびびってたの一昨日だってのに、またいらねぇちょっかい掛けてやがる。

「やめとけよ。それ、ずっとしてるんだし」

俺の制止は少しばかり遅かったらしい。

手を伸ばした吉本が指に引っ掛かったチェーンを引き寄せようとしたのと、服部がその手を払ったのとが丁度重なって、
マットな仕上げの細い銀のチェーンは無理な力に抵抗しきれずに、あっさりと切れた。

「あ……ゴメン」

切れたチェーンは吉本の手の中にあるが、チェーンに通されていたヘッドは小さな硬い音を立てて床に落ち、転がる。
椅子の下に入り込みそうになったそれを、俺が拾い上げた。

「ほら」
「ん、サンキュ」

服部の掌に戻ったのは、内側に小さなルビーが埋め込まれたシンプルなデザインの銀色のリング。

「余計な事すんなや」
「悪い」

吉本の手からチェーンを取り戻した服部が、リングと一緒にシャツのポケットに入れる。

「コンパには行くけど、顔出すだけやで?」
「彼女来たら即帰るからな?」
「わかってるって!とにかく、待ってるから!」

念を押す俺たちにひらひらと手を振って、吉本は足早に教室を出て行った。

「さてと、帰るか」

午後が休講になったから、コンパまで結構時間がある。
一度家に帰って、溜まってる事件ファイルを整理しとくのもいいだろう。

「オメーはどうする?」
「せやなぁ……。オレも一度帰るわ。ファイル整理くらいなら出来るやろし……」
「じゃ、また後でな」

軽く片手を上げて、服部と別れた。





約束の時間丁度に服部と落ち合って、きっちり5分遅れで店に入った。

要するに居酒屋なんだが、店内はモノトーンを基調にしていて、ちょっと洒落た感じの店だ。
吉本に言わせると、女の子は雰囲気を重視するから、女の子を集めたかったら、同じ居酒屋でもちょっと洒落た感じの店にしないといけないらしい。

まあ確かに、女の子が好みそうではあるし、蘭を連れて来るならこんな店がいいかとは思うけどな。

「よお!やっとご到着だな!」
「ちゃんと5分以内だろ?」

吉本に手招かれるように、店の一角を陣取ってる集団に合流した。
ざっと見回してみたが、何だか見覚えのない顔が多い気がする。

「吉本、見覚えのない顔が多いんだけど?」
「オレらの学部内のコンパやなかったんか?」

素朴な疑問をぶつけてみたら、吉本はちょっとだけ申し訳なさそうな顔をした。

「そのつもりだったけどさ、他の学部の子も来たいって言うから。 まあ、俺たちにしてみれば女の子が増えるのは歓迎だし、この店、結構融通が利くしさ」
「俺らは歓迎してねえよ」

低く返して、さり気なく周囲を見渡す。
服部は、入り口が見通せて動きの取りやすい通路側の端に座った。
俺も同じようなポジションを取る。

「あ!服部クンと工藤クン!」
「待ってたよぉ!」
「わあ、ホントに来た!」

集団の真ん中あたりから名前を呼ばれた。
声の中心は、富野と松井。
それに、聞き覚えのある声と聞き覚えのない声が重なった。

「こっちおいでよぉ!」
「何飲む?一緒に頼んであげるよぉ!」
「この店、酎ハイならライムとかグレープフルーツとかがお勧めだよ!」

メニュー片手に呼ばれるが、あいつらに付き合う気はさらさらない。

「さすがに、おモテになる」
「迷惑や」

吉本のおどけたようなセリフをあっさりと切り捨てて、服部はウーロンハイを頼んだ。
俺も同じものを注文する。
蘭たちが来るまでのつなぎだから、メニューなんてどうでもいい。

「ねえ、何がいい?」
「スマンけど、もう頼んだから」

向こうからの声には、服部が軽い調子で返した。
気乗りしないとはいえ、楽しんでる連中を邪魔する気はないし、 鬱陶しいが、あいつらも悪気があるわけじゃないのもわかってるから、あえてここで波風を立てたくはない。

……ここであいつらに騒がれても面倒だしな。

「取り合えず乾杯からな!」

仕切りやの吉本の合図で、集まった連中がグラスを掲げた。

「工藤君たちがコンパ来るって珍しいよね」

話し掛けて来たのは、たまたま傍に座ってた山口。
同じ学部の女の子で、明るくさっぱりとした性格と話題の豊富さで、話してて楽しい友人の一人だ。
入学したての時から何かと俺たちに構って来るが、押し付けがましい所はない。
多分山口にとっては、俺たちは興味深い観察対象にすぎないんだろう。
何せ、初対面の時の第一声が『私、雑誌に載ってる有名人に初めて会った』だったからな。

「こーいうのって、嫌い?」
「そんな事ないぜ?」
「騒ぐの好きやし」

別に、こう言う場が嫌いなワケじゃない。

コンパ自体は楽しい。
同じ年代の連中が集まって、馬鹿な話で盛り上がったり、討論したり。
楽しく過ごすのに男女は関係ないし、女の子がいる事で話題が広がったりもする。

ただ、必要以上に絡んでくる連中が鬱陶しいだけだ。

「あ〜!山口ずる〜い!」
「私もまぜてぇ!」

真ん中あたりにいたはずの富野と松井、他何人かが、周りを押し退けるようにしてこっちに来る。
服部の頬が微かに引き攣ったように見えたのは、錯覚じゃねえだろう。
俺も腰が引けたしな。

「何だかお邪魔みたいだから、私、あっちに行くね」

それだけ言って、山口は空いた席を探すように俺たちから離れて行った。
傍にいたはずの男たちも、奥に追いやられたらしい。
俺たちとしては、蘭たちが来るまで山口や吉本たちと話してたかったんだが。

「ねえねえ、何話してたの?」
「ここね、鳥がおいしいんだよ?」
「飲み物、まだある?」

それぞれが勝手に話し出すから、聞き取る事も出来ない。
まあ、ちゃんと聞くつもりもねえけどな。

「この後さ、カラオケ行こうって言ってるんだ」
「一緒に行こう!」
「悪いけど、予定あるから」

そう言ったら、一斉にブーイングされた。

「え〜?」 「つまんなぁい!」 「服部クンは行くよね?」 「いや、オレも先約あってな」

服部があっさりと断ると、また不満そうな声が上がる。

「ちょっとくらい、いいじゃん!」
「行こうよ!」
「スマンな」

そう言って、服部が表情を隠すように眼鏡を押し上げる。

かなり不機嫌だな。
口調は優しいが、眼鏡に触れる仕種が苛立ってる。

一度席を外すか、と思った時、甲高い声が上がった。

「服部クン、指輪してるの?」
「え〜?」
「あ!ホントだ!」

富野たちの視線が、眼鏡を押し上げた服部の右手に集まっている。

やっと気がついたか。
この店に入った時から、してただろ?

服部は気にした風もなく、グラスに手を伸ばした。

服部の右手の薬指にはめられた、銀色のリング。

最近は色々とごっちゃになってて、女の子でも本来の意味を知らなかったりするが、 右手の薬指はステディリングのための場所。
そこにおさまった何の装飾もないシンプルなデザインのリングは、 どう見てもファッションリングには見えないはずだ。

俺たちの周りで騒いでた女の子たちが一瞬押し黙り、次にもっと姦しく騒ぎ立てた。
はっきり言って、うるせえ。

女ってのは身に付けてるものに聡いから、あれが何だかわかってるはずだ。
それでも、気付かないフリしてようってのか?

「ねえねえ、よく見せてよ!」
「触んなや」

服部の感情のない硬い声にビックリしたように、松井が伸ばした手を引っ込めた。

「俺たち、この後彼女とデートだから、途中で抜けるぜ?」

そう言ったら、騒がしさがまた増した。
店の迷惑になるんじゃねえか?

「うそぉ!」
「だって、見た事ないよ?」
「噂も聞かないし!」 「ね〜?」

見た事なかろうが、噂になってなかろうが、どうでもいいだろ?
『彼女がいる』ってのが事実なんだから。

うるささに顔を顰めた時、服部が眼鏡を外した。

「あれ?」
「服部クン、眼鏡なくても平気なの?」

周りの声は、どうやら耳に入ってないらしい。
視線は店の入り口に向いている。

入り口で従業員に話し掛けられてるのは、蘭。
俺たちの席は入り口に近かったからすぐに気がついたようで、小さく手を振って歩いてくる。
その隣に和葉ちゃんがいた。
服部を見つけたのか、ふわっと笑う。

服部の周りから、イラついた空気が消えた。
同時に、柔らかな笑みが広がる。

優しさと、親しさと、嬉しさと、愛しさと。
そんなものが全部込められた笑み。

こっちの連中は、服部がこんな風に笑うなんて知らなかっただろう。
それが向けられる唯一の女性が、傍にいなかったから。

服部が、すっと席を立った。
和葉ちゃんはあと数歩ってとこまで来てるのに、待ちきれないらしい。

まあ、その気持ちはわかるけどな。

俺も立ち上がって、蘭を迎えた。

「お待たせ、新一」
「おう、待ったぜ?」

久し振りの感動のご対面を邪魔しないように……ってのは冗談だとしても、 俺たちがここに固まってたらテーブルの方から様子を伺ってる連中が 集まってきそうだったから、蘭の手を取って取り合えず元の位置に戻った。

服部は邪魔にならないように位置を変えながらも、まだこっちに戻る気はなさそうだ。

「遅なってゴメンな、平次」
「どこぞで寝こけとるんか思たわ」

聞こえてきたのは、相変わらずの憎まれ口。
だけど、その口調の柔らかさや楽しげな響きは隠しようもなくて……って、隠すつもりもねえんだろうけどな。

「工藤!その美人、誰だ?」
「俺の彼女!」

輪の中からの問いには、きっぱりとそう答える。

当然だ。
虫は湧く前に退治するに限るからな、きっちりと教えとかないと。

俺の隣で、ほんのりと頬を染めた蘭が軽く会釈する。
さっきまで煩く纏わり着いていた女たちは、急にトーンダウンした。

フフン、わかったか。

「工藤クン、あの娘は?」

俺に問い掛けて来たのは、松井。
多分、服部にとってどんな存在なのかって問いだろうが、適当にはぐらかしてやる事にした。

「ああ、和葉ちゃん?可愛いだろ?」

蘭が綺麗で可愛いのは言わずもがなだが、和葉ちゃんも可愛くて綺麗だ。

蘭は『綺麗で可愛い』で、和葉ちゃんは『可愛くて綺麗』だ。
この微妙な違い、わかるか?

「何だか安心するね」

蘭が和葉ちゃんたちの方を振り向いて、ふとそう言った。

「何が?」
「ほら、あたしが服部君に会う時って、大抵和葉ちゃんが一緒だったじゃない?  だから、二人揃ってないと、何となく違和感があって……」
「ああ、そうだな」

蘭の言いたい事はわかる。
今は慣れたが、俺も始めのうちは何処か落ち着かないような不安定な気分になった。

その理由に気付いたのは、蘭とケンカした時。
『何で、服部の事ばっかり聞きたがるんだよ!』とキレた俺に、 蘭は『和葉ちゃん、安心させてあげたいんだもん!』と涙目で反論してきた。
そして『新一は親友の事、心配じゃないんだ』と言って、その後3日間、口をきいてくれなかった。

あれは、痛かった。

だが、それでやっと気がついた。
俺を落ち着かない気分にさせてたのは、服部の傍に和葉ちゃんがいないからだって。

そして、もう一つ気付いた事。

いつもと変わりなく見えた服部。
直情型に見えるけど、こいつは結構ポーカーフェイスだったりするんだって事。

改めて、二人の方を見た。

服部の傍らにいる和葉ちゃん。
欠けていたパズルのピースがぴったりとはまった時のように、すんなりと馴染んでいる。
お互いの持っている空気が違和感なく溶け込んで、自然にそこにある感じだ。

服部が、その空気を抱き込むように和葉ちゃんの腰に腕を回した。

そのまま少し屈んで、和葉ちゃんの耳元に顔を寄せた。
何か言ったらしい。 さっと頬を染めた和葉ちゃんが、 困ったような怒ったような、ちょっと複雑な表情をして、服部の腕から離れようとする。
それを軽く抑えて、服部が楽しげに笑った。

俺の後ろで、ざわめきと言うかどよめきと言うか、そんな感じの声が上がった。
それに混じった小さな悲鳴は、女の子たちのものだろう。

びっくりするのも無理ないか。
あんな仕種、普段の服部からは想像つかねえもんな。

特に、いつも纏わり着いてた富野や松井には信じられない光景だろう。

「工藤、あの娘が服部の遠恋の彼女?」

いつの間にか吉本が傍に来ていた。

「工藤の彼女も美人だけど、服部の彼女も負けてないよな……。
うちの学校、女の子のレベル結構高いと思ってたけど、あんな彼女見慣れてたら確かに物足りないよな」

吉本の感嘆の含まれた感想に、俺は小さく笑った。

俺が蘭に惚れたのも、服部が和葉ちゃんに惚れたのも、別に容姿に惹かれたからじゃない。
だけど、確かに彼女は、前にも増して綺麗になっている。

俺が和葉ちゃんに最後に会ったのは、進学先も決まって、お祝いしようと4人で集まった時。

あれからまだ4ヶ月と経っていないのに、 高校の頃の可愛らしさと瑞々しさに少しだけ爽やかな色香が加わって、 無邪気な中にも何処か女っぽさを感じさせるようになってる。
その見事な変化は、服部が真っ直ぐに愛情を注いで大切に護っていて、 それを和葉ちゃんがきちんと受け止めているからだろう。
そして、和葉ちゃんから届けられる純粋な愛情は、 服部の足元を固めさせて揺るがないだけの自信を与えている。

だからこそ生まれる、触れる事を躊躇わせるような、安定して満ち足りた雰囲気。

空気を読めない富野たちが、どこまで感じ取れるかはわかんねえけどな。

「あれ?服部君、指輪してる?」

蘭が小さく首を傾げた。

和葉ちゃんもそれに気付いたらしい。
服部に右手を上げさせて、まじまじと見つめている。
あの服部が、指輪をしている事が信じられないんだろう。

服部がペアリングを買ってくれたと和葉ちゃんが蘭に電話してきたのは、 高校の卒業式が間近に迫っていた頃。
『はめるのは嫌だけど、ずっと持ち歩いてくれるって言ってくれたんだって。
和葉ちゃん、凄く喜んでたよ』と、蘭が自分の事のように嬉しそうに俺に報告してきた。
その事で服部をからかおうとして痛み分けになったから、よく覚えている。

「和葉ちゃん、嬉しそうだね」
「そうだな」

ふんわりとした笑顔を見せた和葉ちゃんは、とても幸せそうだ。

その彼女から、不意に笑顔が消えた。
服部を少し屈ませると、背伸びをして襟元を覗き込む。

「どうしたんだろ?」
「ああ、あれな。服部って、指輪をネックレスに通してただろ?そのチェーンが切れちまってな」
「あ、それ、俺がやりました」

吉本が小さく右手を上げた。

「チェーン引っ張って、切っちゃったんだ」
「だから、ケガしてねえか確かめてんだろ?」
「……服部君、相変わらず生傷絶えないね」

蘭の感想はちょっとズレてる気もするが、多分和葉ちゃんもそう思ってるんだろう。

キズを見つけたのか、和葉ちゃんがそっと服部の首筋に触れる。
その右手の薬指にはめられた、小さなルビーが埋め込まれた銀色のリング。

ルビーは服部と和葉ちゃんの誕生石だと、前に蘭が言っていた。

何か言われたらしい服部は、苦笑しながらも、和葉ちゃんの好きなようにさせている。

「何だか、ちょっと入り込めない感じだよな」

吉本がため息混じりに言った。
多分、他の連中もそう感じてるんだろう。
さっきまでの喧騒はどこへやら、いやに静かになってる。

気が済んだのか、和葉ちゃんが踵を下ろした。
呆れたような仕種をしながらも、服部が和葉ちゃんに向ける瞳はどこまでも優しい。

「あの娘、何なの?」

もうわかってるだろうに、富野がその問いを口にした。
少し声が尖ってるように感じるのは、気のせいじゃないだろう。

「服部の地元にいる彼女だって」

吉本が、多分あいつらが聞きたくなかっただろう答えを返す。

「遠恋なんて、続かないんじゃない?」

負け惜しみなのか、松井がそんな事を言った。

確かに、遠恋は難しいとよく言われるし、そういう部分はあるだろう。

恋人には、温もりも必要だ。
顔を見て、声を聞いて、温もりに触れる事は、言葉を尽くすより雄弁に気持ちを伝える事もある。

だから、それもままならなくなった事で、気持ちが離れてしまう事も多い。
けれど、この二人は距離すらも上手く取り込んで、大切に気持ちを育てている。

幼馴染だからだろうというのは、理由にはならない。
気持ちなんていつだって不安定で、心も自分ではどうしようもないものなのだから。

「大丈夫ですよ」

蘭が静かに口を開いた。

「服部君、和葉ちゃんの事本当に大切にしてるし、和葉ちゃんも、服部君の事信じてるから。
距離なんかで離れちゃうような、そんな弱い絆じゃないもの」

鮮やかに微笑む蘭に気圧されたのか、富野も松井も黙り込んだ。

「確かにな。何たって『鉄の鎖』だからな、そうそう切れねえぜ?」

意味のわからない連中をよそに、俺と蘭は顔を見合わせて小さく笑った。

人間の事だから、絶対というのはない。
それは重々承知しているが、こいつらなら大丈夫だという自信がある。
二人は、大切なものを見失わないように、きちんと努力をしているのだから。

和葉ちゃんが、服部のシャツのポケットから眼鏡を抜き取った。
服部に手渡して掛けさせる。
首を傾げて見上げた彼女が、服部から眼鏡を取り上げた。
どうやら、あまり気に入らなかったらしい。
そのまま、今度は和葉ちゃんが眼鏡を掛けて見せる。
からかうような笑みを浮かべて、服部が彼女から眼鏡を外してポケットに戻した。

服部が眼鏡を掛け始めた事は、和葉ちゃんも知っている。
それがどんな理由からなのかはわからないだろうが。

別に、彼女は知らなくてもいい事だろう。
服部の中でのみ、意味を持つ事なのだから。

「服部ぃ、いつまでそこでイチャついてんだよ?」
「やかましわ!放っとき!」

からかうように声を掛けたら、速攻で返された。

「彼女、紹介してくれてもいいじゃん!」

吉本の声に、奥から野郎どもの同意の声が上がった。
仕方なさそうに、服部が和葉ちゃんを連れて俺たちの隣に来る。
和葉ちゃんが、ぺこっと頭を下げた。

何となく一部女の子たちの視線がイタい気がするのは、錯覚じゃねえだろう。
勿論、服部も気がついてるはずだ。
その証拠に、和葉ちゃんの腰に回された服部の腕に、少し力が込められたのがわかった。
俺も、蘭を引き寄せる。

まあ、最後の悪あがきってヤツだろう。
いい加減、あいつらもわかっただろうし。

「いやぁ、美男美女揃い踏みで、さすがにお似合いですな」

吉本が、場を盛り上げるようにおどけたセリフを口にする。
多分こいつは、ちょっとばかり空気が悪い事に気付いたんだろう。
俺と服部に、意味深なウインクを送ってきた。

「じゃあ、悪いけど、俺ら抜けるな」
「まだいいじゃん!」
「彼女も一緒に飲もうぜ!」
「ヤボな事言いなや」

引き止める声もあったが、さっくりと切り捨てる。

「また月曜にな」

軽く片手を上げる俺たちの隣で、蘭と和葉ちゃんが小さく会釈した。

「この後、どうすんだ?」

店を出た所で、数歩前を歩く蘭に聞いてみた。
ここに来るまでに、彼女たちの間で今夜の予定が決まってるはずだ。

「まずは晩ご飯食べよう?」
「アタシ、お腹すいてもうて」

俺の声にちょっとだけ振り向いた二人は、楽しげな笑みを見せた。

「オマエ、その食い意地張りのお子様体質、どうにかならんか?」
「……食欲魔人の平次に言われたないで?」

さり気なく和葉ちゃんの隣を陣取った服部がため息混じりに嘆いて見せるが、和葉ちゃんはあっさりと切り返す。

戯れるような二人の掛け合い。
相変わらずの応酬に、凄く安心してる俺がいる。

「何だか、いいよね」

俺の隣に来た蘭が、腕を絡めながら呟いた。

何だか、いい。

「お似合いって事だろ?……俺たちみたいにさ」

そう言ってみたら、蘭に脇腹を小突かれた。





「よう!」
「おう!」

週明けの月曜日、いつものように学内を歩く俺たちに、あからさまに纏わり着いてくる女たちはいない。
……今の所は。

「今日は、眼鏡気分じゃねえのか?」
「ああ、今んとこな」
「和葉ちゃんパワー満タンってか?」
「やかましわ!」

軽く笑う服部は、今日は眼鏡を掛けていない。
今は、自分と周りを隔てる必要はないんだろう。

まあ、あれで諦めてくれるような女ばっかりじゃねえだろうし、 知らねえ連中の方が多いから、いつまで続くかはわかんねえけどな。

「工藤!服部!」

後ろから吉本が駆け寄って来た。

「さすがに、今日はのんびりしてんじゃん?」

吉本の視線の先には、富野と松井の姿。
こっちをちらっと見て、そのまま立ち去った。

「あれ、見せつけられちゃねぇ、引き下がるしかないよな」

苦笑まじりにそう言った吉本が、服部に向き直る。

「随分、機嫌良さそうじゃん?彼女帰ったの、昨日だろ?」
「そやけど?」

吉本が、にやり、とあまり品の良くない笑みを浮かべた。

「それまでずーっと、愛しの彼女と一緒で、それはそれは濃厚なスキンシップを取ったと見た!」
「正解だ」
「オマエら、その口閉じさせたる……」

震えるほどに力の込められた拳から逃げるべく、俺と吉本は足早に教室に向かう。

「待たんかい、コラ!」

振り上げられた右の拳。
銀色のリングは、服部の指におさまったまま、朝の光を弾いていた。





『月虹倶楽部』の月姫様よりフリーSSを頂きましたv

あ〜!もう幸せ!
「眼鏡」は呼んだ瞬間に、『スゴッ、欲しい!』と思った作品だったんです。
ほんとにわがサイトに置ける日が来るなんて! ← 感激ですvv

実は、この作品を奪取したのは、かなり前だったりします。
(期間限定って書かれてあったような・・・。)
それから、暫く個人鑑賞というか、一人で読んで楽しんでいたんですが、(^^;)
        ↑根暗!?
しかし、それではあまりにも勿体ないだろうという事で、
今回掲載させて頂きました。