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  藍将軍の災難





「絳攸。余は考えたのだが・・・」

「なんですか主上」


突然の王の呼びかけに書類を書く手をとめることもなく絳攸は返事を返す。

その手の動きは通常の3倍

なぜならここのところ真夏日といえる気温が続き、そのあまりの暑さに官吏がバタバタと倒れているのだ。

つまりこなさなければならない責務の量も通常の3倍ある。

手を止めている暇など0.1秒だってないのだ。


「うむ、ここは水を撒いたらどうかと思うのだ」

「はぁ、花に水でもくれるんですか?言っときますけどそんな暇はありませんよ」
「何だい?花の水遣りの話?そういえば最近暑さで萎れているね。」


キッパリと切り捨てる絳攸の声に第三者の声が重なる。


「まぁ、後宮の花々は暑さに萎れている姿も色っぽいのだけれど」


入り口から優雅に入ってきた同僚に絳攸は思わず手を止めて振り返る。


「楸瑛!!この常春がぁ〜〜!!!お前の頭に咲いている花もこの暑さで全滅してしまえ! !」

「ははは、上手いね絳攸。でも私の花は君の愛で育っているから暑さでは枯れないよ」

「いっぺん死んで来いっ!!!」


絳攸は身近にあった分厚い本を掴むと迷うことなく楸瑛に投げつけた。

それをいつもの事と難なく受け止めながら楸瑛は主上に話を振る。


「そうそう、また1人官吏が倒れましたよ。なんでも戸部の官吏だとか」

「戸部か・・・黄尚書のところはもともと仕事が厳しいからな。それに加えてこの暑さでは 無理もない」


劉輝は机に肘を付くとおもむろに呟いた。


「これ以上官吏に倒れられるのは困るな、やはり水を撒くとするか・・・」











翌日、左右羽林軍に属する者達は予想外の地獄をみた。


― 城の周りに満遍なく水を撒いてくれ ―


事の起こりは今年に入って初めての王からの勅命。

そうすれば地面にまいた水が蒸発する時、熱が奪われて地表面の温度が下がるらしいのだと 本人は無邪気に説明していた。

それは楸瑛も聞いたことがある話で、理に適っていることも理解できる。

夏は犯罪が起こりにくく、暇を持余していることも多いから雑用が回ってきたからといって 文句を言うつもりもない。

ただ問題なのは、何でもかんでも勝負にしたがる左右羽林軍の大将軍二人なのだ。

どちらが多く城の敷地に水を撒けるか

今回もまるで子供のような勝負事に両軍の者が残らず巻き込まれた。

そして今、左羽林軍と右羽林軍に分かれて猛スピードのバケツリレーが展開されている。

少しでももたつけば鉄拳が飛んでくることは間違いなく、炎天下とはいえ倒れれば今以上の地獄が待っていることは確信の域。


「今ならどんな火事も消せる気がしますね・・・」


武官の誰かがポソリと零した呟きに誰もが心の中で賛同した。


運び、運び、撒く  運び、運び、撒く

その単調な動きを何時間も機械的に行っていく。

辺りが水浸しになればまた少し移動して撒き、また移動。



「藍将軍!!」


水撒きも中盤に差しかかった頃、慌てたような声が楸瑛を呼んだ。

声を掛けてきた若い武官は「少しお耳を」と言い楸瑛の耳元に口を近づけると二、三言葉を 紡いだ。

そして事情を聞くや否や楸瑛は問題の場所へと歩みを急いだのだった。









「龍蓮っ!?」


門の前には先程の武官が言っていた通り自分の弟がいた。

その姿は頭から足先までびっしょりと濡れている。


「愚兄」


龍蓮は水が滴る髪の毛を気にする様子もなく、楸瑛のほうに視線を向けてきた。


「スイマセン藍将軍っ!!自分の不注意で・・・」


龍蓮に気を取られていて気付かなかったがその横には、龍蓮に水をかけてしまったらしい韓升がいた。

手には空になったバケツを持っている。

その顔は蒼白としていて、今にも責任を取りますと言って自害しかねないように見える。

一般的に筆頭名門藍家の直系にあたる者に対して水をかけてしまうというのはそれほど畏れ多いことなのだ。


「韓升、気にしなくて良い。きっと弟がふらふらと歩いていたんだろう・・・こちらこそ迷惑をかけた。」

「しかし・・・・っ!!」


やはり自分の責任ですと言いかけた韓升の言葉を待たず楸瑛は龍蓮に問いかけた。


「龍蓮、水浴びはどうだい?涼しくなっただろう。」

「ふ、水は天の恵み。その水を全身に纏わせるとは良い考えだ。風流とはなんたるかよく分かっている証拠というもの」

愚兄の周りにも風流を解す者がいたのだな。

龍蓮は軽く口の端を上げる。

その論理は韓升には全く理解できなかったが、ただいえる事は・・・


ほら、弟は全く気にしていないだろう?


そう藍将軍が空気で問いかけてくるように、怒っている気配は全くないということだ。


「韓升、申し訳ないがタオルを持ってきてもらえるか?さすがに髪を乾かさないと風邪を引 くからね」

「は、はい。服も何か着替えを!」

「いや、服は良いよ。素直に着替えるような弟じゃないから」


そう言って穏やかな視線を弟に向けた。

その視線に兄弟の枠を超えたものを感じながら、韓升はタオルを運んでくるべく城の中へと 消えたのだった。








楸瑛は日陰へと弟を連れて行った。

弟は水を頭からかぶっているから熱中症になる心配はないと思ったが念には念だ。

周りには人気がなかった。


「・・・全く、どうして門の前なんかにいたんだい」


龍蓮の前髪に含まれた水気を自分の手で丁寧にとりながら楸瑛は問う。


「愚兄其の四が約束を破ったからだ。守る意志があるのかを確かめに来た」

「約束・・・まさか・・・・・昨日のアレのこと?」


楸瑛が思い当たったように訊ねると龍蓮が無言で肯定した。






昨日楸瑛は弟とちょっとした賭け事をした。

弟は滅法賭け事に強いと聞いたので、どんなものだろうという好奇心が湧いたのだ。


「私が勝ったら龍蓮、君は一週間この邸外で笛を吹いてはいけない」


どうだい?と楸瑛が微笑んだ。


「良いだろう。それで私が勝ったら愚兄は何をする?」


楸瑛は少し考えると口を開いた。


「そうだね、今夜君の相手をしてあげるよ」


楸瑛は酒を飲んでいた勢いもあってそう約束してしまったのであった。








「あの賭けは私の勝ちだったな愚兄。」


龍蓮の瞳が真っ直ぐに楸瑛を捕らえる。

言い逃れなど許さない強い瞳。


「・・・・・ああ、君の勝ちだった」


そう、自分の完敗だ。

しかし「夜の相手」など冷静な頭で考えれば到底兄弟の賭け事には持ち出される類のものではない。

賭け事が終わる頃にはすっかり酔いが醒めていた楸瑛は、「明日の朝は早いんだ」などと言い訳をしてその場を逃げ出してしまったのだった。



それでも昨日は見逃してくれた。

しかし今日は・・・


「約束は覚えているのだろうな?」


弟も見逃してはくれない。

自分の負けは素直に認めるとして、「夜の相手」を何か他のことに変えることはできないだろうか・・・


「覚えているよ・・・でも・・・・龍蓮あの内容は

「約束は違えるものではない」


楸瑛の考えを見透かしたかのような龍蓮の言葉。


静かでありながら鋭い。

二人は暫し無言で見詰め合う。

その瞳から弟の動かぬ意志を感じ取り、楸瑛は諦めたように息を吐いた。


「分かった・・・それじゃあ今日の夜に」


弟はけして一度した約束を破らない。

できない約束は最初からしない。

もし負けたとしたら一週間絶対に邸外で笛を吹かなかったことだろう。

だからこそ、自分も一度した約束に誠実でなければならない気がした。

弟は兄の答えに満足そうに頷いてみせ、突如両手で楸瑛の顔を挟んだ。

そのまま自分の唇を楸瑛のそれに押し付ける。


「・・・!!」


突然の龍蓮の行動に楸瑛の思考が停止した。

そうしている間にも薄く開いていた唇の隙間から舌が滑り込んでくる。

舌と舌が絡まりくちゅっと卑猥な音を立てた。


「んっ・・・・」


全てを貪り尽くすような弟の口付けはいつだって楸瑛を翻弄する。


「やめ・・・なさい・・・・」


龍蓮の口付けが一瞬浅くなったのを見計らって楸瑛は弟を押しのける手に力を込めた。

まだ力では幾分か楸瑛のほうが勝っているため龍蓮の身体がぐいっと引き離される。


「こんなところで何を・・・!」


楸瑛が半ば混乱を含んだ声で問うと、龍蓮が整った眉を顰めた。


「昨日の約束を破り今日に変更したならば延滞料をもらうのは当然のこと」


愚兄はそんなことも知らないのか?


「・・・・・・・・・。」

いや・・・寧ろ君はどこでそんな知識を得てくるのかな?

全くこの弟は自分の理論で動くから手におえない。


「まだ払い終わってないぞ愚兄」


苦笑を漏らす楸瑛の唇はまたしても龍蓮によって塞がれたのだった。




『遊花蝶』様より、暑中お見舞いフリーにより頂いた作品です。

凄いです!特に楸瑛の可愛さにはまりまくりです!
私も龍楸を書こうとはしてるんですが、如何せん、龍蓮がうまくいきません。
さすが真性の天才(変人)ですね!私では足元にも及びません。
そんな(どんな?)龍蓮をここまで素敵に、龍蓮らしくできるとはっ!!
矢鏡様、素敵小説ありがとうございます!